古典派の大樹の下、ロマン主義の先を見つめる、シューベルト、 [before 2005]
文学に端を発するロマン主義が、音楽に浸透を始めた頃、19世紀前半... 18世紀、古典主義という洗練を以ってして綺麗に整えられた音楽に、世紀が変わってロマン主義が瞬く間に広がって行く姿は、シャーレでかびを培養するような、そんな印象を受ける。ロマン主義を"かび"と言ってしまうのも、随分な話しだけれど、醗酵食品が美味しいのは細菌のおかげ... つまり、今、クラシックが美味しいのは、ロマン主義のおかげかも... なんて考えると、おもしろい。で、古典主義を培地に増殖を始めるロマン主義の姿がまたおもしろい!
そんな音楽... メンデルスゾーンのコンチェルトに続いて、鬼才、アンドレアス・シュタイアーによる演奏で、1825年頃の製作、ヨハン・フリッツのピアノによる、シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタ、19番、20番、21番(TELDEC/0630-13143-2)の2枚組を聴く。
改めてロマン主義を見つめ来て、何だかとても新鮮な思いがしている今日この頃... あまりに当たり前な存在に、すっかり聴き流していた、ということなのだろう。で、そのロマン主義がどんな風に広がって行ったかを見つめると、またさらに新鮮で、いろいろ見えて来るものがある。そうして、シューベルトに触れてみると、その独特な存在感に、大いに興味を掻き立てられる。で、そんなシューベルト(1797-1828)の、死の年に作曲された最後の3つのピアノ・ソナタを聴くのだけれど... これがまた不思議な雰囲気を醸していて、"最後の3つのピアノ・ソナタ"というあたりが、ベートーヴェンのそれとも重なるのか、すでに彼岸の世界を覗いてしまったかのような、浮世離れした気分が漂い、生命力に溢れたロマン主義が鳴動を始める同時代の音楽とは一線を画すのか...
一方で、シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタには、ベートーヴェンの影響が指摘される。今、改めて聴いてみると、まさに!であって、シューベルトが生きた時代というものを再認識させられる。シューベルトは、ベートーヴェン(1770-1827)と親子ほどの年齢の開きがあるものの、その死の年はベートーヴェンの翌年だったりする。「魔王」(1815)や「死と乙女」(1817)で、ロマン主義へ踏み込みながらも、楽壇には古典派の最後の大家がそびえ立っていた時代、シューベルトは楽聖が住まうウィーンの片隅で、ひっそりと作曲にいそしんでいた。そして、最後の3つのピアノ・ソナタでは、ベートーヴェン的古典主義へと立ち戻るようであり、どこかロマン主義を諦めて、ベートーヴェンという大樹にそっともたれ掛かる... そんな仕草を見せるかのよう。結局、ブレイクすることなくこの世を去ったシューベルト... 楽壇に打って出るような大胆さ、強引さを持ち得なかったシューベルトのナイーヴさを思い知らされる音楽なのかもしれない。けど、そこに、現代人として、某かの共感が生まれて、印象深くもあり。なかなか芽が出ないもどかしさの中、自分なりに挑みながらも、やがて疲れてしまい、大樹の下、座り込んでしまう。が、そこで夢想する音楽世界の広がりは、ずっと遠くまで見渡せていて、新しい可能性すら浮かぶ。
それをより強く感じるのが、最後の21番(disc.2, track.1-4)。古典主義的な牧歌的な風景と、ロマン主義の予兆としてのベートーヴェン的なパッションとが結ばれ、瑞々しい音楽風景を生み出す中、シューベルトならではのポエティックさが広がり、新たな次元へと飛翔してゆくような不思議な感覚が漂う。緩叙楽章にあたる2楽章(disc.2, track.2)などは、特に浮世離れして聴こえて、そのスローなあたりが、やがて音楽的な求心力を失い、今にも音の連なりが解けてしまいそうな儚げな表情を湛え、ロマン主義のより具体的な音楽とは違う美しさを見せる。この感覚は何だろう?サティのような、ケージのような、ずっとずっと先にある音楽の形を予感させるのか?また、シューベルトならではのメロディの反復が、どこかミニマル・ミュージックにも感じられ... 前進し、ロマン主義に染まるのではなく、一歩引いて、より遠い先を見出し得ているシューベルトの視線、死を目前とした視線に、興味深いものを感じる。何より、その視線が捉えた音楽の不思議な魅力に惹き込まれる。
そんな、シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタを聴かせてくれたシュタイアー... 1825年頃に製作されたヨハン・フリッツのピアノにがっつりと向き合い、ピリオドのピアノなればこその癖も堂々と響かせ、少し無骨なくらいにシューベルトの音楽を捉えて行く。だからだろうか、よりベートーヴェンを思わせるところがあって、ピリオドのピアノであっても、思い掛けなく雄弁な表情も見せる。が、そこから、シューベルトのナイーヴさを、何とはなしに浮かび上がらせる巧みさもあり、やっぱりシュタイアーはただならない... そうして見えて来る、シューベルトの不器用さと、不器用だからこその味わいと、不器用さから逃避するようなファンタジー!取り繕わない、ありのままのシューベルトの姿に、妙に共感を覚えてしまう。
SCHUBERT: THE LATE PIANO SONATAS
ANDREAS STAIER
■ シューベルト : ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D.958
■ シューベルト : ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959
■ シューベルト : ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960
アンドレアス・シュタイアー(ピアノ : 1825年頃の作製、ヨハン・フリッツ)
TELDEC/0630-13143-2
ANDREAS STAIER
■ シューベルト : ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D.958
■ シューベルト : ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959
■ シューベルト : ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960
アンドレアス・シュタイアー(ピアノ : 1825年頃の作製、ヨハン・フリッツ)
TELDEC/0630-13143-2
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