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改革以前、宮廷楽長、グルックの先進性。 [before 2005]

今年は、グルックの生誕300年のメモリアル。
でもって、グルック(1714-87)というと「オペラ改革」だ。そして、そのアイコンとして『オルフェオとエウリディーチェ』(1762)が紹介されるわけだ。が、その音楽に触れてみると、何がどう革新されているのか、正直、よくわからない。何より、その恐ろしく端正な音楽からは、オペラが革新された!というインパクトはほとんど無く... なものだから、グルック=オペラ改革という教科書的な説明のされ方が、あまりにピンと来ない。ピンと来ないものだから、グルックの存在自体も、何となくピンと来ない... という位置付けで、もどかしい!グルックのインパクトを伴った革新は、『オルフェオとエウリディーチェ』の11年後、1773年、パリへ移ってから始まる。ロマン主義の端緒とも言うべき"疾風怒濤"の旋風を巻き起こし、パリを征服したグルック... モーツァルト活躍前夜、大嵐を起こしたパリ時代のグルックは、後にベルリオーズやワーグナーがリスペクトするほど、先駆的で刺激的だった...
ならば、グルックのパリ時代以前はつまらないのか?というあたりに立ち返って、改めて見つめるグルック像。グルックが、19世紀の鬼才たちを魅了した"疾風怒濤"に至る前のグルックを聴いてみようかなと... そこで、ベルリン古楽アカデミーの演奏、チェチーリア・バルトリ(メッゾ・ソプラノ)が歌う、イタリア語によるオペラのアリア集(DECCA/467 248-2)と、クリストファー・ムーズの指揮、カペラ・コロニエンシスの演奏で、オペラ『証明された無実』(deutsche harmonia mundi/82876 58796 2)を聴く。


グルック、"疾風怒濤"も予感させる、イタリア語によるアリア。

4672482.jpg
クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-87)。
バイエルン、エラスバッハで生まれたグルックだったが、父親が、チェコの貴族、ロプコヴィッツ侯爵家(やがて、ベートーヴェンを支援することになる!)の森林官となり、チェコへと移住(1717)。グルックは、18世紀、多くの著名な作曲家を輩出した、チェコ特有の音楽教育システム(地方の隅々まで、多くのこどもたちが基礎的な音楽教育を必ず受けていた!)の中で育ち、その才能を開花させる。やがてプラハへ、ウィーンへ、さらにミラノへと渡り... ミラノでは、古典派の先駆け、ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ(1698-1775)に師事し、新しい時代のスタイルを身に付け、1741年には、最初のオペラ、『アルタセルセ』をミラノで初演。若きグルックの野心作は、保守的だった聴衆には受け入れられなかったものの、ミラノ出身のカストラートの大スター、カレスティーニのために『デモフォンテ』(1743)を書くチャンスを得て、それを足掛かりに、まず北イタリアで、さらに、ロンドン、ドレスデン、プラハなどでも活躍。1752年には、オペラのモードの発信地、ナポリで『ティートの慈悲』を上演するに至り、1754年、ウィーンの宮廷楽長に招聘され、ウィーンの楽壇で大きな影響力を持つことに...
という、グルックのキャリアの前半を彩ったオペラのアリアを歌うバルトリ... その1曲目は、ナポリ楽派の牙城、ナポリ、サン・カルロ劇場で上演された『ティートの慈悲』(1752)からのアリア。いや、パリ時代ばかりがグルックでないことを思い知らされる堂々たるアリアに、のっけから圧倒される。ナポリ楽派に負けない華麗さと、ナポリ楽派に勝る力強さ!ナポリ楽派に対するグルックの自負がそのまま音楽となって表れているようで、胸空くよう... 見事にイタリアの最新モードを捉えながら、そこに籠められた力強さには、"疾風怒濤"を予見させるドラマティックさも感じて。『エツィオ』(1750)からのアリア(track.3)では、すでに"疾風怒濤"的な緊張感が見て取れて、特にアリアの前の迫真のレチタティーヴォ・アッコンパニャート!完全にパリ時代が透けて見えるかのよう。また、『ティートの慈悲』からの2つ目のアリア(track.6)の、感情の激しい振幅は、"疾風怒濤"の精神そのもの(多感主義に符合する... )。一方、ウィーンで宮廷楽長に就任してからのオペラ、『混乱するパルナッソス山』(track.2)、『コロナ』(track.5)からのアリアは、かえってナポリ楽派的な華麗さ、流麗さを濃くしていて、その対比がおもしろい。イタリアで学び、ヨーロッパ中で活躍していた頃の劇的な後で、ウィーンでポストに就いてからの、より美しく麗しい在り様... その究極の形として『オルフェオとエウリディーチェ』があるのだろう。そうして、グルック芸術が、一度、完成された後で、パリでの革新というのが、ウィーンでの洗練の反動のようにも思えて、また興味深い。
そんな、グルックのキャリアの前半を彩ったオペラのアリアをより刺激的なものにしてくれるのが、バルトリ!圧巻のコロラトゥーラと、そうした驚くべきテクニックを以って縦横無尽に描かれる豊かな表情... ナポリ楽派的な華麗さ、アクロバティックさが求められる一方で、パリ時代を先取りするようなドラマティックさも見せるここで歌われるアリアの数々こそ、バルトリの音楽性が最大限に活きるアリアと言えるのかも... そして、そのバルトリに負けない鋭さ、華麗さを聴かせてくれるベルリン古楽アカデミーの演奏も最高!

CECILIA BARTOLI GLUCK ITALIAN ARIAS

グルック : オペラ 『ティートの慈悲』 から "Tremo fra' dubbi miei"
グルック : オペラ 『混乱するパルナッソス山』 から "Di questa cetra in seno"
グルック : オペラ 『エツィオ』 から "Misera, dove son... Ah! non son io che parlo"
グルック : オペラ 『認められたセミラーミデ』 から "Ciascun siecua il suo stile... Maggior follia"
グルック : オペラ 『コロナ』 から "Quel chiaro rio"
グルック : オペラ 『ティートの慈悲』 から "Ah, taci, barbaro... Come potesti, oh dio!"
グルック : オペラ 『ティートの慈悲』 から "Se mai senti spirarti sul volto"
グルック : オペラ 『アンティゴーノ』 から "Berenice, che fai?

チェチーリア・バルトリ(メッゾ・ソプラノ)
ベルリン古楽アカデミー

DECCA/467 248-2




グルック、ウィーン時代、古典の証明、『証明された無実』。

82876587962
グルックのキャリアは3つの時代からなる。イタリアで学び、やがてヨーロッパ中で活躍した20代から30代(1741-54)に掛けてと、ウィーンの宮廷楽長を務めていた40代から50代(1754-73)、そして、ウィーンの巨匠としてパリ進出を果たした60代(1773-79)... この3つの時代におけるその作風の変遷、進化を改めて俯瞰してみると、常にチャレンジングだったグルックの姿に感心させられる。イタリアの最新モードを自らのものとし、より広いヨーロッパを旅し、ウィーンの宮廷楽長というビッグ・ポストを手に入れると、徹底して自らの芸術を洗練させ、極めた後、それらを捨て去って、新たなグルックに変身してしまう大胆さ!いや、そういうことができてしまうからこそ、パリ時代のオペラは、古典派を飛び越えて、ロマン主義の萌芽と成り得たのだろう... いや、グルックという人は、常に時代を先んじていたように感じる。久々に『証明された無実』を聴いてみて、そう感じた。
グルックが、ウィーンの宮廷楽長となって翌年、1755年、ブルク劇場で初演された『証明された無実』。それは、大バッハが逝って5年後、モーツァルトが誕生する前年... バロックから古典派への過渡期、ギャラント様式、多感主義など、様々なスタイルが混在し、次の時代を模索していた頃となるわけだが、『証明された無実』から聴こえて来る音楽というのは、迷うことなく古典派の形を示していて、その堂に入った在り様が印象深い。それは、ウィーンの宮廷楽長のポストを得て、ウィーンの趣味に即した形でもあるのかもしれないが、流麗にして端正な音楽は、まさに後のモーツァルトが描いたオペラから聴こえて来る音楽とほとんど距離を感じない。というより、モーツァルトのオペラが、グルックが示した古典派のオペラの形をきちっと踏襲したものなのだなと、思い知るようでもある。何より、古典派の古典たらしめている古典美というものをより意識させるその音楽の瑞々しさ!ナポリ楽派にも古典派にカテゴライズされる世代は存在するし、18世紀後半、古典派がヨーロッパのモードであったわけだが、グルックが見せる古典美というのは、何か純度が違う気がする。その究極が『オルフェオとエウリディーチェ』であるわけだけれど、ギミックなところがなく、真っ直ぐに音楽を紡ぎ出して得られるクラリティの高さは、モーツァルトですら達し得ていないような... それでいて、『証明された無実』の、純潔の誓いを立てたヴェスタの巫女を巡る物語が、この古典美にこれ以上なく相応しくもあって、映える!力強いドラマティシズムで押して来るのではない、程好い花やぎに充たされたアリアの数々で楚々と紡がれてゆくオペラは、何か、春めいて、心緩むよう。
さて、この古典美を歌い上げる歌手たちがまた絶妙... ヴェスタの巫女、クラウディアを歌うバーヨ(ソプラノ)。そのクラウディアに恋心を寄せる、ローマの執政官、ヴァレリオにカラシアク(テノール)。クラウディアの姉で、祭司を務めるフラミニアにデ・リソ(メッゾ・ソプラノ)。ヴァレリオの友人で、ローマの騎士、フラーヴィオにカンヘミ(ソプラノ)と、ピリオドで活躍する実力者たちをきっちりと揃えて織り成すアンサンブルの手堅さ... 彼らが生み出す伸びやかで素直な古典派ならではの魅力にただただ惹き込まれる。それから、ムーズの指揮、カペラ・コロニエンシスの演奏が、また端正で、グルックのウィーン時代を、爽やかに繰り広げ。そうして、パリ時代とは一線を画す、グルック芸術の魅力をしっかりと楽しませてくれる。

C.W. Gluck: L'innocenza giustificata
Bayo ・ Cangemi ・ de Liso ・ Karasiak
Cappella Coloniensis ・ Christopher Moulds

グルック : オペラ 『証明された無実』

クラウディア : マリア・バーヨ(ソプラノ)
ヴァレリオ: アンドレアス・カラシアク(テノール)
フラミニア: マリナ・デ・リソ(メッゾ・ソプラノ)
フラーヴィオ: ヴェロニカ・カンヘミ(ソプラノ)
コールヴェルク・ルール

クリストファー・ムーズ/カペラ・コロニエンシス

deutsche harmonia mundi/82876 58796 2




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