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バロックから古典主義への間奏曲... ハイドン、J.C.バッハの場合... [before 2005]

1710年代から、半世紀下りまして、1760年代...
それは、バッハの息子たちが活躍し、神童モーツァルトはヨーロッパ・ツアーをしていた頃。つまり、バロックの息子たちと、まだ少年だった古典派による時代。バロックの残り香を感じながら、いつの間にやらロココ、ギャラントに包まれていて、不器用ながらも新しい古典派の波がひたひたと打ち寄せている... そういう、ひとつのスタイルにまとまり切らない過渡期なればこその状態を意識しつつ、1760年代の音楽を聴いてみると、とても興味深い。"バロック"と"古典主義"をつなぐ、1760年代という間奏曲は、バロックのポストリュードと、古典主義へのインターリュードが重なって、ポリフォニックに響き合う。他の時代には無い、焦点の定まらなさが、実は希有な時代に成り得ているように思う。また、そんな時代に生まれた作品が、不思議といい味を醸していて。
という1760年代、過渡期の中に古典主義のつぼみを探して、アイゼンシュタットへ、ロンドンへ... 鈴木秀美率いる、オーケストラ・リベラ・クラシカの演奏で、ハイドンの交響曲、「朝」、「昼」、「晩」(Arte dell'arco/TDKAD-002)と、ベルリン古楽アカデミーの演奏で、ヨハン・クリスティアン・バッハの交響曲集(harmonia mundi FRANCE/HMC 901803)の2タイトルを聴く。


1761年、アイゼンシュタット、着任。ハイドンの、「朝」、「昼」、「晩」...

TDKAD002.jpg
1761年、ハンガリーの大地主、エステルハージ侯爵家の副楽長となった29歳のハイドン... ここから29年に及ぶ、エステルハージ侯爵家での仕事が始まる。で、屋敷のあるアイゼンシュタットに着任してまもなく作曲されたであろう、6番、7番、8番の交響曲。「朝」(track.1-4)、「昼」(track.5-8)、「晩」(track.9-12)を聴くのだけれど、いやー、久々に聴いてみると、その、古典派に成り切れていない姿に、何だか小っ恥ずかしさすら感じてしまったり... バロックの合奏協奏曲を思わせる、独奏楽器が活躍してしまう「交響曲」という、未分化な状態(古典派の協奏交響曲よりも、間違いなく合奏協奏曲に近い!)が、まさに過渡期的で... その後の、疾風怒濤の交響曲、パリ交響曲、ロンドン交響曲に比べれば、聴き応えのあるシンフォニックさには、程遠い。一方で、そこにあるトーンは、すでにバロックを完全に脱してもいて、ウィーンの古典派を思わせるやわらかさと、上品さに彩られ、愛らしく。前古典派ならではのユルさ?を感じながらも、未分化でユルいあたりが、また絶妙にも思え、独奏楽器が生み出す豊かな表情は、朝、昼、晩の他愛のない日常を描き出すようで、その気の置けなさが魅力的。
規模こそまだ小さかったものの、名手揃いだったエステルハージ侯爵家のオーケストラが活きる交響曲を... というオーダーによる作曲だったとのことだが、ヴェルサイユのような豪奢な宮廷、ベルリンのようなセンスを感じさせる宮廷とは違う、ハンガリーの田舎(とはいえ、アイゼンシュタットはウィーンからはそう遠くない... )の、大地主の、音楽が好き、という素直な感覚をそのまま響かせたような音楽は、派手さこそ控え目でも、屋敷の親密さが伝わる、味わいに溢れた音楽に仕上がっていて。そこに、後のハイドンの交響曲を思わせるサウンドも、時折、聴こえて、おおっ!?ともなる。そんな"びっくり"が、またハイドンらしくて... そんなハイドンの、その後のシンフォニストとしての長い道程を思うと、この「朝」、「昼」、「晩」という交響曲に、感慨深いものを感じる。
という、駆け出しのハイドンの交響曲を、素直に、手堅く紡ぎ出した鈴木秀美+オーケストラ・リベラ・クラシカ... 彼らのハイドンへの真摯な眼差しがそのまま反映され、それがまた、1761年、アイゼンシュタットに着任したばかりのハイドンの初々しさにつながって、印象的。晩年の人気作には無い楚々とした魅力を前面に、聴く者をハッピーにしてくれる素敵な演奏!

鈴木秀美 指揮/オーケストラ・リベラ・クラシカ ハイドン : 交響曲 第6番 「朝」 ・ 第7番 「昼」 ・ 第8番 「晩」

ハイドン : 交響曲 第6番 ニ長調 「朝」 Hob.I-6
ハイドン : 交響曲 第7番 ハ長調 「昼」 Hob.I-7
ハイドン : 交響曲 第8番 ト長調 「晩」 Hob.I-8

鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカ

Arte dell'arco/TDKAD-002




1762年、ロンドン上陸、J.C.バッハの、ギャラントで多感主義な交響曲...

HMC901803
父、ヨハン・セバスティアン(1685-1750)の死後、ベルリンの兄、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)の元に預けられ、兄について音楽を学んでいたバッハ家の末っ子、ヨハン・クリスティアン(1735-82)。だったが、ベルリンで上演されるイタリア・オペラに魅せられて、イタリアへの憧れを募らせ、家出(1754)... ボローニャのマルティーニ神父(1706-84)に師事し、その後、ミラノのドゥオーモのオルガニスト(1760-62)となり、教会音楽で最初の成功を勝ち得ると、やがてオペラにも乗り出し、その名声はヨーロッパ中に広まる。それを足掛かりに、1762年、27歳の時、国際音楽都市、ロンドンへと渡り... その頃に作曲され、後に、パリで出版(1769)されることになる6つの交響曲から、2番目(track.1-6)と、6番目(track.9-11)を聴くのだけれど。ハイドン同様、やはり過渡期の交響曲... 新旧のスタイルが混在し、そのことが、独特のテイストを生んでいる。
まず、2番目(track.1-6)。ロンドンのオーケストラの充実を思わせる、ハイドンには無かった規模の大きさが、よりシンフォニックな聴き応えをもたらしてくれる。が、ハイドンの後で聴くと、ヨハン・クリスティアンの交響曲は、兄、カール・フィリップ・エマヌエルのスタイル(ギャラントにして、多感主義... )に近く、次の時代(端正な古典主義... )へと踏み出しながらも、軸足になっているのは、後ろに残した足といった印象を受ける。一方で、多感主義的な激しさが、ハイドンにはまだ無かった交響曲としてのパワフルさを与えていて、古さが新しさを引き出すという不思議な感覚も興味深い。で、短調による6番目(track.9-11)となると、その傾向はより強くなり、多感主義的な激しさは、すでに疾風怒濤を思わせるのか。またそこに、モーツァルトの交響曲を思わせるようなフレーズが現れて、はっとさせられ。少年モーツァルトは、ロンドンを訪れ、ヨハン・クリスティアンと親交を結び、影響を受けることになるわけだが、この6番目を聴けば、モーツァルトの交響曲の源流を見出せたように思う。
という、ヨハン・クリスティアンの交響曲を聴かせてくれたベルリン古楽アカデミー... 相変わらずの見事な演奏なのだけれど、そこに独特の重量感が加わって、交響曲によりシンフォニックな迫力を持たせつつ、その重量感に、過去が滲み、影を作って、印象的。過渡期の音楽を、少しダークに響かせて、味にしてしまう妙味!改めて、ベルリン古楽アカデミーの巧者ぶりに感服させられる。

J.C. Bach ・ Symphonies ・ Akademie für Alte Musik Berlin

ヨハン・クリスティアン・バッハ : 交響曲 変ホ長調 Op.6/2
ヨハン・クリスティアン・バッハ : チェンバロ協奏曲 変ロ長調 Op.13/4 *
ヨハン・クリスティアン・バッハ : 交響曲 ト短調 Op.6/6
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : フルート協奏曲 ニ短調 Wq.22 *

ラファエル・アルバーマン(チェンバロ) *
クリストフ・フンゲバース(フラウト・トラヴェルソ) *
ベルリン古楽アカデミー

harmonia mundi FRANCE/HMC 901803


さて、ベルリン古楽アカデミーによるヨハン・クリスチャンの交響曲集なのだれけど、その交響曲とともに取り上げられる、2つのコンチェルトがまた興味深い。2つの交響曲に挟まれての、ヨハン・クリスティアンのチェンバロ協奏曲(track.6-8)と、最後の、カール・フィリップ・エマヌエルのフルート協奏曲(track.12-14)。ヨハン・クリスティアンのコンチェルトは、1777年、カール・フィリップ・エマヌエルのものは1747年の作曲と、時間的に大きく開いているものの、同じ匂いがして来るからおもしろい。これが、バッハ家の血だろうか?
カール・フィリップ・エマヌエルの、ベルリン時代に書かれたWq.22のコンチェルト、その1楽章(track.12)は、父、ヨハン・セバスティアンを思わせる古風な始まりで、ギャラントとは程遠いのだけれど、終楽章(track.14)では、カール・フィリップ・エマヌエルならではの多感主義が炸裂し、ジェット・コースターのような音楽を繰り広げる(もう、カッコ良過ぎ!)。ヨハン・クリスティアンが、ロンドンで人気絶頂にあった頃の作品、Op.13/4のコンチェルトは、チェンバロという楽器が持つトーンもあるのだけれど、とてもギャラントに響き... 早くに父を失ったヨハン・クリスティアンにとって、兄、カール・フィリップ・エマヌエルは父のような存在だったのだろう。だからこそ反発し、家出し、兄のスタイルに抗うようにイタリアで最新モードに染まったのだろう... が、拭い去り切れない、ギャラントの巨匠、兄の匂いが漂っていて、とても興味深い。一方で、終楽章(track.8)では、"ロンドンのバッハ"を強く印象付ける、スコットランド民謡の引用も... このキャッチーでメロディックなあたりは、古典主義を通り越し、ロマン主義を予感させて、おもしろい!いや、こうして音楽史は連綿と続いて来たのだろうなと、つい感慨に耽る。
さて、この2つのコンチェルトのソリストがすばらしい!キラキラと輝く、アルバーマンのチェンバロ。鮮やかに、そして颯爽と吹き切る、フンゲバースのフラウト・トラヴェルソ。ベルリン古楽アカデミーのメンバーだけに、オーケストラとの息もぴったりで、より密度の濃い演奏を聴かせてくれる。




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