SSブログ

プーランクの"聖"と"俗"。 [before 2005]

フランシス・プーランク、没後50年のメモリアル...
ということで、フランスのオペラ・コミックの成長過程を担ったグレトリの後で、フランスの近代音楽の花咲ける時代を担ったプーランクを聴くのだけれど。没後50年?そんなに昔ではない!そんなことに気が付けば、急に親近感が湧いてしまう。「20世紀」は、随分と遠くになった気がするけれど、50年と聞くと、意外に近い。で、そんな感覚から、改めてプーランクを聴いてみると、またちょっと印象が変わるのか?「クラシック」という仰々しさよりも、やがてフレンチ・ポップへとつながる?そんなカラフルでハッピーなトーンが、ノスタルジックにして現代にも絶妙にフィットとするようであり。さらに、おもしろいのは、そういうカラフルでハッピーなトーンに、グレトリに見出した匂いが残っているということ!さすがはフランス音楽の精神/エスプリ。だからこそ、魅惑的なのか。
そして、プーランク。そのエスプリに彩られた、粋でお洒落なばかりではない、プーランクのもうひとつの一面をも聴いてみようかなと思い立ち、プーランクを"聖"と"俗"から改めて見つめてみることに。まずは、"俗"、小澤征爾の指揮、サイトウ・キネン・オーケストラの演奏で、オペラ・ブッフ『ティレイジアスの乳房』(PHILIPS/456 504-2)を。続いて、"聖"、マーカス・クリードが率いた、RIAS室内合唱団で、ア・カペラによる教会音楽集(harmonia mundi FRANCE/HMC 901588)を聴く。


"俗"なるプーランク、シュールにオペラ・ブッフ!

4565042.jpg
アポリネールの戯曲を元に作曲された、プーランク、最初のオペラ、『ティレジアスの乳房』(1947)。プーランクならではの、擬古典主義による軽やかで色彩感に富む音楽が、「シュルレアリスム」という言葉を生み出したアポリネールならではの、シュールでキテレツな物語を、楽しく、ハッピーに彩る、ちょうど1時間くらいの短い作品。その短さゆえか、オペラハウスに掛かることは少ないかもしれない。となれば、あまり目立つような作品ではないのだけれど、これは20世紀のオペラにおける隠れた傑作コメディかもしれない。
そんな音楽に対して、小澤+サイトウ・キネンの演奏は独特... 世界中で活躍する斎藤門下の演奏家たちの同窓会という特殊な性格の、他のオーケストラには無い気合の入り様が生み出す、比重の重いサウンド。ソリスト級が結集して生まれる正確さは、クリアな一方で、幾分、堅苦しさもあり、果たして粋なフランスのオペラ・ブッフの性格に合うのだろうか?久々に聴いてみれば、もっとユルくて軽い演奏の方が作品は活きる?なんて思ってもみたのだけれど... いや、この生真面目さこそ、シュールなオペラに最高のスパイスとなるのかもしれない!そこに、世界のオザワなればこその豪華なキャスティング!タイトルロールのボニー、その夫役のフシェクール(ブッフのエスプリを見事に体現する、オートコントルのチープさ!)ら、一級の歌手たちの見事なパフォーマンス!みなキャラが立ち、息衝き、スピーカーから流れて来る音楽からは、手に取るようにドラマが見える!
さて、そのドラマなのだけれど... すっかり忘れていた『ティレジアスの乳房』のストーリーを読み返して、衝撃を受ける!思うように進まない女性の社会進出への不満、深刻な少子化問題、大活躍のトランス・ジェンダー、苦悩を抱えるシングル・ファーザー... とにかく、恐ろしいほど刺激的に現代社会に語り掛けて来る。アポリネールの戯曲、『ティレジアスの乳房』は、1917年、第1次世界大戦の最中、パリで初演された。それはシュルレアリスティックな芝居として、観客を大いに驚かさせ、あまりのあり得無さに、抱腹絶倒だったろう。そして、第2次世界大戦が終結し、ヨーロッパが落ち着きを取り戻そうとしていた1947年、プーランクのオペラとして初演された『ティレジアスの乳房』。観客は、ブッフの伝統に則って繰り広げられるドタバタに、すっかり楽しんだだろう。が、21世紀、10年代の日本には、まさにリアルとして迫って来る... 一世紀近く前の戯曲、半世紀以上前のオペラでありながら、恐ろしいほどそこにあるのは、今の我々の姿。つまり、今の我々は、20世紀のシュールなのか?超現実を生きているのか?と考えると、恐いような、痛快のような、ゾクゾクさせられる。

POULENC ・ LES MAMELLES DE TIRÉSIAS ・ LE BAL MASQUÉ
SAITO KINEN ORCHESTRA ・ SEIJI OZAWA

プーランク : オペラ・ブッフ 『ティレジアスの乳房』
プーランク : 世俗カンタータ 「仮面舞踏会」 *

座長 : ジャン・フィリップ・ラフォン(バリトン)
テレーズ/ティレジアス : バーバラ・ボニー(ソプラノ)
亭主 : ジャン・ポール・フシェクール(テノール)
憲兵 : ヴォルフガング・ホルツマイアー(バリトン) *
プレスト : マーク・オズワルド(バリトン)
ラクフ : グラハム・クラーク(テノール)
新聞記者 : ゴードン・ギーツ(テノール)
息子 : アンソニー・グリフィー(テノール)
新聞売りのおばさん : 坂本 朱(メッゾ・ソプラノ)
東京オペラ・シンガーズ

小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ

PHILIPS/456 504-2




"聖"なるプーランク、ア・カペラで教会音楽集。

HMC901588
如何にもプーランクらしい、俗っぽい音楽世界を楽しんでから、プーランクのもうひとつの一面、その敬虔な姿を聴くのだけれど... RIAS室内合唱団が歌う、ア・カペラによる教会音楽集の静謐さは、『ティレジアス... 』とはまるで異なる次元の音楽のように響く。1曲目、悔悛のための4つのモテット(track.1-4)の、深く透明感を湛えるハーモニーは、俗世の虚飾が全て抜け落ちて、かえって声の鮮やかさが強調されるようで。ア・カペラの美しさばかりでない、信仰の強さを示す生々しい"祈り"が浮かび上がり、独特。
第1次大戦後の、新しいことが次々と花火のように打ち上がる喧騒のパリで、フランス6人組のひとりとして、時代の寵児となったプーランク。だったが、1936年、ひとつ年下の友人、フェルー(作曲家にして音楽評論家... )の交通事故死を切っ掛けに、その心は信仰へと向かう。その翌年に作曲されたのが、悔悛のための4つのモテット。となると、納得の"悔悛"にも思える。一方で、興味深いのが、『ティレジアス... 』は、その"悔悛"の後に作曲(1944)されているということ。信仰に目覚め、"俗"から"聖"へと変貌を遂げたのではなく、"俗"という一面に、"聖"という一面が加わり、同時に存在させていたことに、プーランクの一筋縄では行かない性格を見出す。何より、プーランクの"聖"と"俗"のギャップは何だろう?こういう作曲家を、他に探せるだろうか?これまで、何となく聴いて来たプーランク... 「何となく」聴けてしまうチープさこそ魅力に感じて来たのだけれど、"聖"と"俗"の両極から見つめると、その印象は変わるのかもしれない。モダニズムのキラキラとした楽観主義を纏いつつ、深い信仰が奥底で充ち満ちている二面性。プーランクは、極めて希有な作曲家と言えるのかもしれない。
そして、その二面性の"聖"の一面に鋭く迫る、クリードが率いた頃のRIAS室内合唱団。ドイツの室内合唱のハイテク性を存分に発揮し、どこよりも揺るぎなくかっちりと歌い上げ、当然のクリアさで聴く者を圧倒する、クリードならではのクウォリティ。イギリスのマエストロと、ドイツの室内合唱が織り成す、非ラテン的音楽性が、かえってプーランクの真実を抉り出すかのよう。教会を飾る音楽としての教会音楽ではなく、信仰そのものを音にして穿つ... そんなプーランクの教会音楽の峻厳さを見事に捉える。そうした厳しさに貫かれたア・カペラも、最後のミサ(track.11-15)では、よりカラフルな色を放ち、やさしさに包まれて、感動的に締め括られる。厳しさが次第に緩み、天国を思わせる温もりを感じながら迎えるフィナーレは、また得も言えない幸福感が広がる。また、"俗"の後だからこそ、そのあたりが際立つよう。

POULENC / MUSIQUE SACREE / RIAS-KAMMERCHOR

プーランク : 悔悛のための4つのモテット FP 97
プーランク : エクスルターテ・デオ FP 109
プーランク : サルヴェ・レジーナ FP 110
プーランク : クリスマスのための4つのモテット FP 152
プーランク : ミサ曲 ト長調 FP 89

マーカス・クリード/RIAS室内合唱団

harmonia mundi FRANCE/HMC 901588




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。