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黛敏郎のコスモポリタニックな近代音楽の曼荼羅。 [2005]

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何となく、気温が落ち着いて来ました。
そして、秋の訪れを予感する瞬間が... ふと見上げた空が、思い掛けなく高かったり。夜、帰り道で虫の音が聴こえて来たり。「秋」なんて、とても想像できなかった、少し前の酷暑を振り返ると、それは、ちょっと不思議な思いがする。一方で、どんなに酷い熱さに襲われても、温暖化のデッドラインが迫りつつあっても、「四季」は巡る地球の揺ぎ無さみたいなものを、ぼんやりと感じる。って、話しがデカくなり過ぎか... というあたりはともかく、昨秋から聴き直して来た、2005年のリリース、再びの秋を前に、一区切り。で、その締め括りに日本へと還る。
NAXOSの日本作曲家選輯から、湯浅卓雄の指揮、ニュージーランド交響楽団の演奏で、日本の戦後を代表する作曲家のひとり、黛敏郎(NAXOS/8.557693J)を聴き直す。

こどもの頃、日曜の朝にぼんやりと見ていた、『題名のない音楽会』での司会の姿が懐かしい... 憲法記念日のニュースで、必ず登場していたのも覚えている... だからか、「作曲家」というイメージを漠然と持てないでいたのかもしれない、黛敏郎(1929-97)。そうした中、テレビで見た、オペラ『金閣寺』(1976)が衝撃的だった。原作は三島由紀夫だけれど、ベルリン・ドイツ・オペラの委嘱ということで、ドイツ語で歌われるそのオペラ... ビターで骨太な近代音楽から繰り出されるドイツ語は、ベルクの『ヴォツェック』や、ツィンマーマンの『軍人たち』を思わせて... それでいて、そうした作品にまったく引けを取らない聴き応えに、ただただ圧倒されたことを覚えている。黛敏郎は、やっぱり作曲家なのだなと、その本質の魅力に遅まきながら興味を持つ。やがて、NAXOSの日本作曲家選輯からアルバムが登場... 興味津々で聴いたその作品を、今、改めて聴くのだけれど...
おもしろい!20世紀の音楽の様々な展開を見つめて来て、改めて黛敏郎という存在に触れると、そのあまりに20世紀的な在り様に、微笑ましさや、懐かしさやらが、うわっとこみ上げつつ、おもしろい!となる。1曲目、フランスに留学する直前、1950年(まだ、東京音楽学校、現在の芸大を卒業していなかった!)の作品、シンフォニック・ムード(track.1, 2)は、師である伊福部昭流のリズミックでポジティヴな推進力と、印象主義のようなキラキラした感覚、ミヨーのようなお祭り感に彩られて、ジャケットにある古賀春江の絵画そのままに、朗らかにモダンが鳴り響き、ハッピーなムードで満たす。何より、無条件にハッピーになれる軽さが印象的。ある意味、それは、すでにフランス的というのか、スカンと抜けたモダンなムードは、どこか日本人離れした感性を見出すことができる。さて、パリのコンセルヴァトワールへと留学(1951)した黛だったが、もはや西洋から学ぶものは無いと、1年で帰国してしまったとのこと... わかるような気がする。フランス6人組あたりと比べて、まったく遜色無いもの...
帰国してからは、フランスで目の当たりにした最新の音楽と、日本そのものへの回帰を結んで、独特のモダニズムへと至る。そんな2曲目、ニューヨーク・シティ・バレエの委嘱によるバレエ『BUGAKU』(track.3, 4)は、ブロードウェイ的な煌びやかさに日本というエキゾティシズムを浮かばせつつ、フロラン・シュミットやストラヴィンスキーを思わせる聴き応えで巧みにまとめ、ニューヨークを満足させる魅惑的な音楽を生み出している。続く、曼荼羅交響曲(track.5, 6)は、汎アジアなテイストが、モダニズムの自由な気分に乗せられて、様々に展開。曼荼羅という極めて東洋的な形を、西洋音楽を象徴する交響曲(シンフォニーというのは、音の曼荼羅っぽくない?)に比定するウィットというか、黛のセンスというのは、「前衛」に溺れた戦後日本の作曲家とは違う、軽妙さがおもしろい。そして、その軽妙さが生む、明るさが興味深い。『題名のない音楽会』で思い出される、落ち着いた口調と、不思議に砕けた雰囲気は、その音楽の中に、しっかりと反映されていたのだなと今にして思う。
さて、そんな黛作品を演奏する、湯浅卓雄の指揮、ニュージーランド響の演奏。これがまた風通しが良く、爽やかで。そうした性格が、より黛作品の軽やかさを際立たせ、好印象。ある意味、日本の作品は、日本人の手から離れた方が、作品の真価を問えるような気がする。日本独特の湿気った気候から離れ、南半球のニュージーランドという別天地から見つめる黛作品というのは、日本の水気がよく切れていて、さっぱりとしたサウンドで作品が紡がれる。そうしたオーケストラを小気味よくドライヴして、日本云々というよりも、上質な近代音楽として捉える湯浅卓雄の指揮。そういう姿勢があって、作曲家、黛敏郎のパレットにあった色彩の豊かさ、より開かれた音楽性に触れることができたように思う。ナショナリストにして、アジア、日本を題材にした作品を積極的に繰り出した黛だけれど、実は、コスモポリタンだったのかもしれない。

MAYUZUMI: Symphonic Mood ・ Bugaku ・ Mandala Symphony

黛 敏郎 : シンフォニック・ムード
黛 敏郎 : バレエ 『BUGAKU』
黛 敏郎 : 曼荼羅交響曲
黛 敏郎 : ルンバ・ラプソディ

湯浅卓雄/ニュージーランド交響楽団

NAXOS/8.557693J




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