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亡命者たちの『創世記組曲』。 [2005]

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20世紀、アメリカの音楽史、改めて見つめると、なかなかおもしろい...
まず、アイヴス(1874-1954)という、特異な存在が出現して、アメリカにおける近代音楽は、保険業(アイヴスの本業... )の傍ら、密やかに産声を上げる。やがて、ヴァレーズ(1883-1965)がフランスからやって来て(1915)、ウルトラモダニストたちが、実験的な音楽で聴衆を驚かし、それがまた受けてしまったというから、アメリカの聴衆の懐の大きさにも驚かされる。一方で、ジャズの世界からはガーシュウィン(1898-1937)が登場し、ヨーロッパの伝統をお行儀良く守る保守的な作曲家たちも活動を続け。そして、パリで学んだコープランド(1900-90)が帰国(1924)。やがて、モダンとフォークロワを結び、最もアメリカらしい近代音楽の形が生まれる。
そんな、20世紀、アメリカの音楽史に、大きな刺激をもたらしたのが、ヨーロッパからの亡命者たち... ナチス・ドイツ、第2次世界大戦(1939-45)を避けて、多くの音楽家が大西洋を渡ったわけだが。そうしたヨーロッパの大物たちを結集して編まれた組曲... 2005年にリリースされた、ジェラード・シウォーツ指揮、ベルリン放送交響楽団の演奏による、『創世記組曲』(NAXOS/8.559442)を聴き直す。

指揮者にして作曲家、長年、ビクター・レコードのディレクターを務め、後には映画音楽の世界でも活躍したシルクレット(1895-1982)。彼が、アメリカに亡命して来た作曲家たちに呼び掛けて生まれた、語りとオーケストラ、そしてコーラスによる『創世記組曲』(1945)。旧約聖書の冒頭、まさに世界の始まりを描く創世記を、シェーンベルク(1874-1951)による前奏曲に始まり、企画者、シルクレットによる「天地創造」(track.2)、タンスマン(1897-1986)による「アダムとイヴ」(track.3)、ミヨー(1892-1974)による「カインとアベル」(track.4)、カステルヌウォーヴォ・テデスコ(1895-1968)による「洪水」(track.5)、トッホ(1887-1964)による「誓約」(track.6)、ストラヴィンスキー(1882-1971)による「バベル」(track.7)で綴る。シェーンベルク、ストラヴィンスキーという、近代音楽のアイコンが扉と締めを担いつつ、タンスマン、カステルヌウォーヴォ・テデスコ、トッホという渋い存在が脇を固め、近代音楽のお祭り野郎、ミヨーが色を添え、なかなか興味深い構成なのだが、一方で、個性の際立つ近代音楽の世界、それぞれにスタイルを持った作曲家たちをひとつにまとめることができるのか?と、かなり無謀な企画にも思えて来るのだけれど、これがまた良い流れを創り出してしまうから驚かされる!
神による「光あれ。」の一言で世界の創造がスタートする、その前の状態、カオスを、前奏曲としてシェーンベルクで始める妙(てか、まあ、それしかないか... )。アメリカに渡り、少し過去を振り返り、12音技法が緩んだシェーンベルクの、その緩みに雄弁さを籠めて、単に抽象性が強調されるのではない、これから創世記が始まるぞという力強さ、ヴォカリーズを用いて何気にドラマティックであったりする印象的な幕開け。そんなシェーンベルクの音楽を巧みに受け取り、そこから具体的な音楽を奏でることで、天地が創造(track.2)されて行く様を描き出すシルクレット。抽象から具体へのギア・チェンジに、創世記の始まりを重ねる妙。また、往年の映画音楽を思わせる、ヴォカリーズのノスタルジックなトーンがいい味を醸す。そこに、フランス流の明朗さでアダムとイヴ(track.3)の初々しさを描き出すタンスマン。最初の殺人、カインによるアベルの殺害(track.4)を、この人ならではのカラフルさ、リズミックさを以って、アグレッシヴに描き出すミヨー... カステルヌウォーヴォ・テデスコ、トッホ、ストラヴィンスキー... それぞれの音楽性がそれぞれの場面に見事に活かされていて、なおかつ、想像以上にスムーズにつなげられてゆく。明らかにシェーンベルクはシェーンベルクだし、ミヨーはミヨー、ストラヴィンスキーはストラヴィンスキーなのだけれど、それ以外の個性のニュートラルさ、個性と個性をつなぐ個性のおもしろさが、何気に光る。
そうしたあたり、特に際立つのが、企画者、シルクレット... カルーソーからシナトラまで、様々なフィールドのアーティストたちと数多く共演し、様々なジャンルを横断したキャリアから培ったフレキシブルさがフルに活かされて。シェーンベルク=新ウィーン楽派と、タンスマン=フランス近代音楽のギャップを見事に埋める「天地創造」(track.2)の巧みな展開。さらには、企画者としての組曲全体へ向けられた鋭い視線... 異彩を放つ個性をそれぞれの場面に落とし込み、ひとつの組曲につなげる名ディレクターっぷり!そこには、『創世記組曲』の復活にあたっての、パトリック・ラスによるアレンジもあるのかもしれないが、創世記が音楽として鮮やかにヴィジュアライズされ、継ぎ接ぎ感を感じさせないその大きな流れに魅了される。だからか、5人もの俳優を擁する語りが邪魔... 十分に雄弁な音楽を、やたら説明したがるあたり、正直、煩い。また語りが上手い分、余計に...
いや、それだけ、シュウォーツの指揮、ベルリン放送交響楽団の演奏が充実したもので。7人7様の音楽を器用に捌きつつ、旧約聖書のスペクタクルかつドラマティックな流れを、まるで映画でも見るような雄大なスケールで響かせる。それは、チャールトン・ヘストンの『十戒』とか、「総天然色」のヴィンテージ感すら聴こえて来そうな、何とも言えない風合を放ち、魅惑的。また、エルンスト・ゼンフ合唱団のオールド・ファッションなユルめのコーラスが、そうした風合をより際立たせてもいて。20世紀、アメリカの音楽史の1ページとして、この奇作を、21世紀の今、不思議な懐かしさを以って蘇らせる。

GENESIS SUITE (1945)

シェーンベルク : 前奏曲
シルクレット : 天地創造 〔オーケストレーションの復元 : パトリック・ラス〕
タンスマン : アダムとイヴ 〔オーケストレーションの復元 : パトリック・ラス〕
ミヨー : カインとアベル
カステルヌウォーヴォ・テデスコ : 洪水 (ノアの箱舟)
トッホ : 誓約 (虹) 〔オーケストレーションの復元 : パトリック・ラス〕
ストラヴィンスキー : バベル

ジェラード・シウォーツ/ベルリン放送交響楽団
エルンスト・ゼンフ合唱団
トーヴァ・フェルドシュー(語り)
バーバラ・フェルドン(語り)
デイヴィッド・マーグリース(語り)
フリッツ・ウィーヴァー(語り)
イサイア・シェッファー(語り)

NAXOS/8.559442

さて、『創世記組曲』。個性が邪魔することなく、ひとつの組曲として流れを生み出している理由は何だろうと考える。オーストリア出身のシェーンベルクとトッホ(実は、シルクレットもオーストリアからの移民の家に生まれている... )、ポーランド出身でフランスで活躍していたタンスマン、フランスのミヨー、イタリアのカステルヌウォーヴォ・テデスコ、そして、ロシアのストラヴィンスキー。ヨーロッパとはいえ、様々な国からやって来た亡命者たち。それぞれに持っている色はやはり違う。が、ストラヴィンスキーを除いて、みなユダヤ人であるという事実がある。いや、だからこそ、亡命に迫られたわけだけれど... このユダヤ性が、この組曲に、ひとつの流れを生み出すのか?そうした流れの果てに、バベル(track.7)としてのストラヴィンスキーの存在感は、また際立つ。ストラヴィンスキーの音楽が持つ、乾いたモダニズムが、流麗なユダヤ性の後で、バベルの塔の崩壊と、言語の分裂のエピソードを浮かび上がらせていて、印象的。ここでもまたシルクレットのチョイスが光る。




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