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先生たちの中の新たな時代への萌芽。ハイドン、サリエリを巡って... [2005]

古典派からロマン主義へ、どう進化を遂げて行ったのか?
18世紀、古典派の音楽と、19世紀、ロマン派の音楽、意外と簡単に線引きできてしまうのだけれど、それを線でつないだらどうなるのだろうか?古典派の範疇で書かれたベートーヴェンの初期の交響曲、古典派からロマン主義へと、うつろう姿をそのまま音楽にしたフンメルのピアノ協奏曲を聴いて、線引きされ、整理された音楽ではなく、18世紀から19世紀へ、新旧のスタイル、センスが入り混じるあたりに、新鮮なおもしろさを見出す。ならば、そのおもしろさの始まりは?入り混じる前の、「旧」の中に芽生えた、最初の「新」はどのあたりだろう?
ということで、入り混じる時代を担った世代の、先生たちの音楽... ベートーヴェン、フンメルともに師事した、ハイドン(1732-1809)、サリエリ(1750-1825)の音楽を、2005年のリリースから、2タイトル... クリストフ・ルセ率いる、レ・タラン・リリクによる、サリエリのオペラ『トロフォーニオの洞窟』(ambroisie/AMB 9986)と、ルネ・ヤーコプスの指揮、フライブルク・バロック管弦楽団、RIAS室内合唱団による、ハイドンのオラトリオ『四季』(harmonia mundi FRANCE/HMC 901829)を聴き直す。


18世紀を、ロッシーニへとつなげる、サリエリのオペラ『トロフォーニオの洞窟』。

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18世紀後半を彩ったモーツァルトのオペラの後で、19世紀前半を席巻したロッシーニのオペラを聴いてみると、かなりの飛躍を感じる。1791年、モーツァルトが逝って、三ヶ月(弱)後、1792年、ロッシーニは誕生する。意外に近い、2人の人生... けれど、このタイム・ラグは、思いの外、大きかったか、オペラの流れにおいて、18世紀と19世紀の間には、迷うことなく線を引くことができる。しかし、モーツァルトからちょっと視線をずらして、例えばサリエリのオペラを聴いてみると、また印象は少し違って来るのかもしれない。
で、サリエリの『トロフォーニオの洞窟』を聴き直してみるのだけれど... モーツァルトの『フィガロの結婚』の初演の前年、1785年に、ウィーンで初演されたオペラ・ブッファ。通ると性格が変わってしまう魔法の洞窟が原因となって、2組の恋人たちの関係が縺れてしまい... となると、何だか『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)に似ているその物語。そして、音楽もまた、モーツァルトの時代、オペラ・ブッファ全盛の頃の、楽しく軽やかなナンバーに彩られた魅力的なもの... なのだけれど、こうして改めて聴き直してみると、モーツァルトよりも聴き易い?そんな印象を受けるからおもしろい。ブッファであろうと、徹底して作り込んで、ただ楽しいばかりでない、しっかりとした聴き応えが残るモーツァルトに対して、ブッファ本来の、軽妙洒脱なあたりを活かし切る、気の利いたシンプルさが、サリエリの魅力... そのシンプルさに、その後のロッシーニを予感させるセンスを見出して、興味深い。
という『トロフォーニオの洞窟』を、見事に描き切るルセ+レ・タラン・リリク... フランス・バロックのイメージの強い彼らだけれど、改めて聴き直してみると、フランスを離れても活き活きとした音楽を繰り広げていて、イタリアン・スタイルのブッファが、小気味よく弾む!それでいて、細部まで丁寧に捉えて、シンプルではあっても、表情豊かなサリエリの音楽を鮮やかに蘇らせる。そこに、手堅くキャスティングされた、ピリオドで活躍する歌手たちも、息衝く演奏に乗って、軽やかにコミカルなドラマを歌い綴っていて、魅惑的。フィナーレのコンチェルタートのスパークリングなあたりはもう最高!で、これは、ほとんどロッシーニ...

LA GROTTA DI TROFONIO

サリエリ : オペラ 『トロフォーニオの洞窟』

アリストーネ : オリヴィエル・ラルエッテ(バリトン)
オフェーリア : ラッファエッラ・ミラネージ(ソプラノ)
ドリ : マリー・アーネット(ソプラノ)
アルテミドーロ : ニコライ・シュコフ(テノール)
プリステーネ : マリオ・カッシ(テノール)
トロフォーニオ : カルロ・レポーレ(バス)
ローザンヌ歌劇場合唱団

クリストフ・ルセ/レ・タラン・リリク

ambroisie/AMB 9986




次なる時代を見据えた第一歩、ハイドンのオラトリオ『四季』...

HMC90182905vo.gif
1801年に初演された、ハイドンのオラトリオ『四季』。それはまさに、19世紀、最初の大作であり、また18世紀の集大成でもあって、他になく中身の濃い作品のように感じる。ハイドンのオラトリオというと、どうしても『天地創造』に目が行きがちで... ハイドンが生きていた頃もまた、そうだったようだけれど、『天地創造』以上に漲る何かがある。それは何だろう?改めて『四季』を聴き直してみて感じるのは、ハイドンの内側に湧き上がる新たな時代の創造... 『天地創造』(1798)がハイドン芸術の到達点ならば、『四季』は次なる時代を見据えた第一歩だろうか。フランス革命、ナポレオン戦争と、あらゆるものが大きく動き、古典派の古典美が大いに揺さぶられた18世紀末、ハイドンの身体にはすでにロマン主義が充満していたように感じる。ただ、それを形にする手段を得ず、やむをえず古典派の枠組みで響かせてしまったのが『四季』?そのもどかしさのようなものが生むパワフルさが、何気に凄まじく... ハイドン晩年の作品にして、異様に若々しさすら感じる作品でもある。
描かれるのは、農村の素朴な四季の風景。「パストラル」というセンスは、けして新しいものでも、珍しいものでもなかったけれど、繰り広げられる自然描写は、ベートーヴェンの「田園」(1808)に通じ、またロマン派を先取るようなメロディックさ、時に野卑になることすら恐れない大胆さに、19世紀の到来を意識させる。が、メンデルスゾーンのオラトリオはまだ先であって、古典派の巨匠としての精一杯の「19世紀」が繰り広げられる。そんなハイドンに、妙に親近感を覚えてしまう。それまで、どんなジャンルも器用にこなしていたハイドンが、新しい時代に向き合って不器用さを曝してしまう、ある種のカッコ悪さ... それが、農村の田舎臭さと重なって発せられる独特の味わいと、開き直って生まれるパワフルさが、鮮烈!古典美を脱ぎ切れずとも、生命感に溢れる!
こういう音楽は、お手のもの?ヤーコプスの音楽性がこれでもかと活きる『四季』であって、あらゆる瞬間の全てが息衝き、体温を孕み、このオラトリオの人間臭さを余すことなく響かせてしまう。フライブルク・バロック管も、繊細にしてアグレッシヴな演奏を展開し、絶妙にヤーコプスの要求に応える。そして、最大の魅力はRIAS室内合唱団のコーラス!四季を成す4つのパートの要所、要所で繰り広げる、クリアかつホットな歌声は、農村の風景にリアルな活気を与え、秋のフィナーレ(disc.2, track.11)などは、最高!ペーターゼン(ソプラノ)、ギューラ(テノール)、ヘンシェル(バリトン)の3人によるソロも、気の置け無さを漂わせつつ、明瞭にして雄弁な歌声を聴かせ魅惑的。そうして、混然一体となって紡がれる圧巻の『四季』。凄い。

Joseph Haydn
The Seasons
René Jacobs


ハイドン : オラトリオ 『四季』 Hob.XXI-3

マルリス・ペーターゼン(ソプラノ)
ヴェルナー・ギューラ(テノール)
ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)
RIAS 室内合唱団
ルネ・ヤーコプス/フライブルク・バロック管弦楽団

harmonia mundi FRANCE/HMC 901829




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