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バロック・ロックがベートーヴェンを奏でみると... [2005]

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クラシックの始まり、西洋音楽の"源"を探ることは、刺激的だ...
何だか、日常からトリップしてしまったようで、いつもとは違う音楽の感覚を味わう。のだけれど、半月もそういうあたりをウロウロしていると、黄泉の国を彷徨っているみたいで、地に足が着かない?ま、普段のクラシックからすれば、それは彼岸とも言えそうな音楽世界ではあるのだけれど。ルネサンスのレクイエムに始まり、ゴシックの大聖堂に響いたオルガヌム、そしてグレゴリオ聖歌、さらにはモサラベ聖歌と、歌いつつ祈って、祈って、祈って、神の領域へと近付いてしまったか?それらは、我々の日常に溢れかえる音楽とはまったく異なるものであって。何より、中世の「祈り」の重みというのが、現代人の意識では、計り知れないものがあるように感じる。その「祈り」から発せられる音楽に、改めて、その存在について、いろいろ考えさせられるところもあり、興味深い半月だった。
とはいえ、そろそろ、地上に戻らねば... そこで、生命力、溢れる、音楽!いや溢れ過ぎてしまう?2005年にリリースされ、賛否を呼んだ、バロック・ロックの開拓者、ピリオド界の鬼才、ジョヴァンニ・アントニーニの指揮、ピリオド可のスーパー・チェンバー・オーケストラ、バーゼル室内管弦楽団による、ベートーヴェンの1番と2番の交響曲(OEHMS CLASSICS/OC 605)を聴き直す。

あのアントニーニがベートーヴェンをやる?!ということで、もの凄くセンセーショナルだった、アントニーニ、バーゼル室内管によるベートーヴェンの1番と2番の交響曲。で、期待を裏切らない、はじけっぷりに... いや、「はじける」なんてレベルではなかったか?それは、ほとんど爆発!「ベートーヴェン」、「交響曲」なんていう、アカデミックさやら、高尚さなんてもの、全てをはじき飛ばしてしまった彼らの演奏は、クラシックの演奏史におけるテロル?いや、真面目にベートーヴェンを聴いて来たファンには、そんな風に思えたはず... それほどに、モダンとピリオドによるハイブリットによる先鋭的なアプローチが、2005年の時点で衝撃的だった。が、あれから7年が過ぎ、今、改めて聴き直してみると、どうだろう?あの時の衝撃は、やはり薄らいでしまったか...
21世紀も、今や「初頭」気分を脱し、21世紀におけるベートーヴェン像もさらに進化して、ちょっとやそっとの演奏では驚かされることもないのかもしれない。となると、かつての演奏は色褪せて聴こえる?結局、虚仮威しだったのか?いや、センセーショナルに踊らされず、落ち着いて、アントニーニ、バーゼル室内管の演奏に向き合ってみれば、意外にもしっかりとしたベートーヴェン像というものが浮かび上がる。もちろん、ただならずハイ・テンションであることは間違いないのだけれど、アントニーニ流のバロック・ロック的なヤリ過ぎ感に、無理を感じない。初めて聴いた時、ハラハラさせられたのは、何だったのだろう?ふと振り返ると不思議な気もする。で、おもしろいのが、力むくらいに力を入れても、それは「ヤリ過ぎ」というより、ベートーヴェンの交響曲を構成する全てのパーツを、聴き手にすっかり見せる造影剤のようなものに思えるところ... 並々ならぬ力を込めて、ベートーヴェンの構造を見せ切ってしまうおもしろさ!見せ切ってしまえば、ベートーヴェン本来の凄味というものが露わになって、その迫力に圧倒されてしまうから、さらにおもしろい。アントニーニが凄いようで、ベートーヴェンが凄い...
そうして、構造が見えてしまって興味深いのが、その後のベートーヴェンの個性が確立されていった交響曲よりも、1番、2番の方が刺激的に響くところ。希代の作曲家の、個性の強烈さに覆われる前だからこそ、ベートーヴェンのシンフォニストとしての力量がよくわかる。特に1番(track.1-4)、古典派を脱し得ないからこその端正さに溢れるベートーヴェンの構築力。個性や癖に邪魔されない素直さの中で、鮮烈なパワーが沸き上がるところに、また「ベートーヴェン」というものを見出すからおもしろい。一方、2番(track.5-8)では、ロマン派の萌芽としてのダンサブルさが、アントニーニのバロック・ロックに刺激されて、際立っていて、その後の交響曲へのロードマップが浮かび上がるのか... どうしても、全9曲中、最初の2つの交響曲というのは影が薄くなりがちだけれど、こうして、改めて、しっかりと「力」を込めて演奏してみれば、断然、おもしろいのだから、目から鱗...
そういう諸々を詳らかとする、アントニーニ、バーゼル室内管のパフォーマンスは、ただただ見事。まず、アントニーニの、ベートーヴェンに対する確かなビジョン。けして、思い付きで、「ヤリ過ぎ」をやっていないということ。影が薄くなりがちな1番、2番にこそ、ベートーヴェンの真髄を見出そうという並々ならぬ心意気と、それを確実なものとして響かせるために、しっかりとスコアを読み切って、一切を疎かにすることなく繰り広げられるハイ・テンション!それを、きちっとサウンドにし切るバーゼル室内管の演奏には、息を呑む... いや、バーゼル室内管がいなければ、形に成り得ないベートーヴェンだと思う。ひとりひとりの確かな技量を、フルに鳴らし切って、一糸乱れぬアンサンブルを形成してゆく驚異!ヤリ過ぎなくらいのハイ・テンションの荒ぶりに、粗さが出るかと思いきや、まったく丁寧ですらあるから凄い... そして、丁寧かつハイ・テンションにヤリ過ぎると、どうなってしまうのか... 最初の一音から、最後の音が消え入るまで、全ての瞬間に生命力が漲る!今、改めて聴いてみて、そのパワフルさが生む、圧倒的な輝きに、圧倒される。それは、初めて聴いた時とは違う驚き。様々にベートーヴェンを体験して来て、振り返るからこその、おもしろさ、だろうか。

Ludwig van Beethoven
Symphonies Nos. 1 & 2

ベートーヴェン : 交響曲 第1番 ハ長調 Op.21
ベートーヴェン : 交響曲 第2番 ニ長調 Op.36

ジョヴァンニ・アントニーニ/バーゼル室内管弦楽団

OEHMS CLASSICS/OC 605




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