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『オルフェオとエウリディーチェ』は、つまらない? [2005]

オペラの歴史を振り返ると、必ず登場するオペラ改革の話し...
古典復興のルネサンスの精神を集大成して、バロックの始まりとともに誕生したオペラというスタイルは、その「バロック」の熟成につれて堕落していった... カストラートのスターたちの大活躍が招いた堕落?総合芸術のはずのオペラが、スター歌合戦になり下がってしまって... それって、高尚なる芸術音楽として、どーなのよ。ということなのだろうけれど、今、その堕落の時代のオペラが掘り起こされまくって、初めて見えてくる、刺激的だった堕落の時代のオペラの姿!オペラ改革のアイコン、グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』を思い返すと、そのあまりに優等生なあたりに、インパクトの弱さを感じてしまう。オペラを改革したにしては、「オペラ改革」の教科書以上の意味合いというのは、なかなか見出せない。が、刺激的だった堕落の時代を知って、今、改めて、オペラ改革を見つめるならば、また違った感覚を得られるのか。そもそも、グルックばかりでなかったオペラ改革。その広がりを俯瞰すれば、より豊かであった18世紀のオペラ・シーンが、グっと立体的に立ち上がってくる!
ということで、2005年にリリースされた、改革オペラを2つ... クリストフ・ルセ率いる、レ・タラン・リリクによる、ヨンメッリのオペラ『棄てられたアルミーダ』(ambroisie/AMB 9983)と、ポール・マクリーシュ率いる、ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズによる、グルックのオペラ『パリーデとエレナ』(ARCHIV/477 5415)、奇しくも1770年に初演された2つのオペラを聴き直す。


1770年、ナポリ... ヨンメッリの改革オペラ、『棄てられたアルミーダ』。

AMB9983.jpg
ニコロ・ヨンメッリ(1714-74)。
バッハ家の次男、カール・フィリップ・エマヌエルと同い年で、この後で取り上げる、オペラ改革の旗手、グルックともまた同い年... ということで、何となく、どういう時代の、どういう世代の作曲家だったかが見えて来るのだけれど、ヨンメッリのキャリアを丁寧に見つめると、より興味深い立ち位置が見えて来る。ナポリ近郊で生まれ、当然、ナポリで教育を受け、ナポリ楽派の一員として、20代にしてすでに成功を勝ち得ていたからというから、凄い。その後、ウィーンで、シュトゥットガルトで活躍。この、アルプスの北、オペラの周縁地域での経験が、ヨンメッリのオペラに、ナポリ楽派という枠には収まらないスケール感(ドイツ語圏のフランス好みを反映して、イタリアでは廃られていたコーラスを盛り込んで、よりリッチなサウンドを獲得しつつ、リアリスティックな傾向のフランス趣味とナポリ楽派の流麗なるスタイルを結合!)をもたらし、グルックに先駆けて、じわりじわりと改革オペラへとシフト・チェンジしていった。そして、ナポリへ帰国した翌年、1770年、集大成的なオペラ、『棄てられたアルミーダ』を初演。
さて、今、改めて、聴き直す『棄てられたアルミーダ』なのだけれど... 刺激的だった堕落の時代のオペラを知ったからこそ、ヨンメッリの凄さを思い知る!まず、印象に残るのは、ドラマティックなレチタティーヴォ・アッコンパニャート(オーケストラ伴奏付きレチタティーヴォ)。オーケストラと歌手が混然一体となって、スリリングに展開されるドラマに、それ以前のオペラとは一味違う緊張感が漲っていて、ちょっと痺れてしまう。そうして高められた緊張感が、ナポリ楽派流の見事なアリアで解き放たれる快感!雄弁で、惜しみなくコロラトゥーラのアクロバティックも聴かせて。それでいて、ひとつのひとつのアリアが、それぞれに輝きを放ち飽きさせない。そこに、重唱や、コーラスが挿まれて、対話部分は全てレチタティーヴォ・セッコ(チェンバロの伴奏による定番のレチタティーヴォ)が担っていたそれまでのオペラとは違う、より密な音楽展開に、改革オペラのなんたるかを、知らしめる。が、ヨンメッリのスタンスは、グルックのそれとはちょっと違うのか... 刺激的だった堕落の時代を否定するのではなく、その刺激をより高めるために、より可能性を追求した結果、改革となった... というイメージだろうか?改革理念に変にストイックになることなく、より盛りだくさんなオペラを楽しませてくれて、その聴き応えは、ちょっと他にないくらい。
という、『棄てられたアルミーダ』を蘇らせた、ルセ+レ・タラン・リリクの見事な演奏!実は、レ・タラン・リリクが創設(1991)されて間もない頃、1994年の録音で、fnacから、リリースされ、廃盤となっていたものを、ambroisieが復活させ、改めてリリースしたもの。ということで、若かりしルセの、才気に充ち満ちた演奏が繰り広げられ... さらには、今やピリオドには欠かせない存在となった人気歌手たち、ジャンス(ソプラノ)、プティボン(ソプラノ)の、駆け出しだった頃の、キラキラとしたと歌声と、若手なればこそのチャレンジングな姿勢が、思い掛けなく雄弁な音楽を生み出して... 「若さ」がもたらす魔法を最大限に活かし、オーケストラ、歌手が一体となって、ヨンメッリの改革オペラに、さらなる推進力を与えて、パワフル!今、改めて聴き直してみれば、こんなにも凄かった?!と、驚きつつ、今なればこそ、さらにさらに魅了されてしまうヨンメッリだった。

ARMIDA ABBANDONATA CHRISTOPHE ROUSSET LES TALENS LYRIQUES

ヨンメッリ : オペラ 『棄てられたアルミーダ』

アルミーダ : エヴァ・マラス・ゴドレフスカ(ソプラノ)
リナルド : クレア・ブリュア(メッゾ・ソプラノ)
タンクレーディ : ジル・ラゴン(テノール)
エルミニア : ヴェロニク・ジャンス(ソプラノ)
ランバルド : ラウラ・ポルヴェレッリ(メッゾ・ソプラノ)
ウバルド : パトリシア・プティボン(ソプラノ)
ダーノ : セシル・ペリン(ソプラノ)

クリストフ・ルセ/レ・タラン・リリク

ambroisie/AMB 9983




1770年、ウィーン... グルックの改革オペラ、『パリーデとエレナ』。

4775415
オペラ改革のアイコン、グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』。とにかく、重要な作品として、オペラ史において欠かせないことになっている。だからか、録音も当然ながら多い。グルックの音楽に触れるとなれば、まずは『オルフェオとエウリディーチェ』となるわけだ。が、どうもこのオペラをおもしろいと思えない。それこそ、刺激的だった堕落の時代のオペラ、その危うげなほどにスリリングな音楽を体験してしまうと、まったく以って教科書的であって、知識として頭の中に入れておくレパートリー... くらいにしか思えないで来た。その『オルフェオとエウリディーチェ』(1762)から8年後、1770年、ウィーンで初演された、『パリーデとエレナ』。
やっぱり、おもしろくない。なんて、書いてしまっては、元も子もないのだけれど... ヨンメッリの、ナポリ楽派なればこそのスタンスだろう、改革オペラだろうが何だろうが、客席をしっかりと温めて、やがて熱狂へと持って行くような、そういうサービス精神に欠ける、グルック。美しく、完璧な音楽を構築したとしても、聴く側の心を鷲掴みにしてゆくような強引さというか、あざとさというか、そういう「欲」があってもいいように感じるのだけれど。ドラマの進行を妨げる(とも言い切れないように感じるのだけれど... )、スター主義を象徴するアクロバティックなコロラトゥーラを排除し、物語自体も、バッサリと整理(よって、登場人物が少ない!)し、削ぎ落した先に、古典美を追求する... まさに、バロックの性格の対極を成す音楽劇の姿。『パリーデとエレナ』は、『オルフェオとエウリディーチェ』よりも、よりそうした古典美を追求する姿勢が深化しているように感じる。それを、おもしろい/おもしろくないで、判断してはいけないのかもしれない。が、ただひたすらに美しく流れてゆく音楽に、戸惑いを感じたのだったが...
刺激的だった堕落の時代のオペラを知って、ヨンメッリの改革オペラを聴き直して、改めて向き合う『パリーデとエレナ』は、やっぱりこれまでとは違う感覚を見出す。そして、グルックの意図したオペラ改革というものを、やっと納得できたような気がする。それは、徹底した「古典」への回帰... どうにでも転がってゆく、人間のドロドロとした欲望を描くのではなく、そういうリアルな人間像を超越した、古典世界の理想郷を究極的な洗練を以って描き出す、結晶のようなドラマ。ヨンメッリ同様に、アルプスの北のフランス趣味を反映して、コーラスを登場させ、さらにはバレエ・シーンもふんだんに盛り込んで、全てのレチタティーヴォを、レチタティーヴォ・アッコンパニャートでまとめ、音楽の流れを途絶えさせない... まさに、改革されたオペラがそこにある。が、そこに、バロック(刺激的だった堕落の時代)よりも濃密なドラマを求めていたことが間違いだった。そんな視点を持つと、『パリーデとエレナ』のひとつひとつのシーンの、磨き抜かれた音楽の美しさに不思議と惹かれ始める。バロックを脱し、「古典」へと回帰したオペラは、その端正な佇まいこそ魅力。そして、これこそが、オペラにおける古典派か?バロックからの進化ではなく、バロックとの対比から、オペラ改革の興味深さを知るのかもしれない。しかし、美しい!
というのも、マクリーシュ+ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズが持つ、アルカイックな気分が見事にグルックの改革オペラにはまって、その古典的性格が際立つのか。そこに、コジェナー(メッゾ・ソプラノ)以下、実力派たちの、抑制の効いた端正な歌声が、ひとつひとつのナンバーを磨き上げるようで、息を呑む。描かれるのは、やがてトロイア戦争を引き起こす、パリス(パリーデ)とヘレナ(エレナ)の駆け落ち... ではあるけれど、そういう情動の一切合財を昇華して、"美"のみ抽出する純度の高い演奏と歌に、恐れ入る。いや、聴き直して良かった!そして、デュオニソス的なるバロックと、アポロン的なる古典派の対比の興味深さ。いや、18世紀というのは、改めて盛りだくさんな世紀だなと感じ入るばかり。

GLUCK: PARIDE ED ELENA
GABRIELI CONSORT AND PLAYERS ・ MCCREESH


グルック : オペラ 『パリーデとエレナ』

パリーデ : マグダレーナ・コジェナー(メッゾ・ソプラノ)
エレナ : スーザン・グリットン(ソプラノ)
アモーレ : キャロリン・サンプソン(ソプラノ)
パッラーデ : ジリアン・ウェブスター(ソプラノ)

ポール・マクリーシュ/ガブリエリ・コンソート & プレイヤーズ

ARCHIV/477 5415

さて、ウィーンでオペラ改革に挑んだグルックは、1773年、パリに進出。そこで生み出されたオペラは、ウィーンでのオペラ改革をも吹き飛ぶ、"オペラ進化"を果たす。オペラ改革が過去へ回帰であったなら、オペラ進化は大いなる前進!幕が上がった瞬間から、驚くほど密度の濃いドラマを展開して、聴く者を否が応でも引き摺り込んでゆく恐るべき求心力。そして、人間の慟哭を恐れず描き切る迫真の音楽。"疾風怒濤"の時代を象徴するそのオペラは、もはや古典派のスケール感を越えて、プレ・ロマンティック。グルックは、パリで、アポロンからデュオニソスへと乗り換えたか?そんな18世紀、ヨーロッパの幅と、多層性が、本当に興味深いなと...




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