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晩秋のショパン... なんて、いかにもだけれど、思わず癒されて... [2012]

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さて、コテコテが続きます。が、ぼんやりと、疲労感...
やっぱり、コテコテなクラシックというのは、魅了されつつも、どこかで威圧的なのかも。で、ふと思う。名曲と言われる作品ほど、"ドヤ顔"している気がする。で、そういうところに疲労感かなと。ま、ここまで聴いて来たのはオリジナル主義や、ピリオド・アプローチによる演奏。ステレオ・タイプな「コテコテ」とは一線を画す部分もあるのだけれど、やっぱり19世紀のオーケストラ作品というのは、それだけですでにパワフル。振り返れば、19世紀そのものがパワフルだったか... ヨーロッパ中に広がる革命、それから産業革命、ヨーロッパから世界へと進出し拡大する植民地。良くも悪くも、とにかくホットだったのが19世紀。そんな時代に育まれた音楽ともなれば、やっぱりどこかで必要以上にパワフルな部分もあるのかもしれない。で、19世紀中毒になったか?
そして、次は、19世紀、ピアノのアイコン、ショパン!フィリップ・ヘレヴェッヘ率いる、シャンゼリゼ管弦楽団、アレクサンダー・ロンクィヒが弾く、1849年製、エラールのピアノで、ショパンの2番のピアノ協奏曲(Narodwy Instytut Fryderyka Chopina/NIFCCD 031)を聴く。

あなた変わりはないですか、日毎寒さがつのります...
何だか、冬を目前に変に身に沁みてしまうフレーズなのだけれど(って、セーターは編んでません... 一応... )。そんな演歌の名フレーズが、なぜか聴こえてくる、ショパンの1番のピアノ協奏曲、1楽章。ここで聴くのは、2番の方だけれど、2番も1番に負けず、演歌なテイストであって... クラシックにおいて、ショパンほど演歌を感じる作曲家はいないような気もする。国民楽派的な性格も持ち合わせるショパンの音楽、その土の臭いを漂わせるフォークロワなトーン、東欧なればこその感性が、どこかで極東の島国の湿気を含んだ感性と共鳴するのか、とても興味深い。そして、今、改めてショパンを聴くのだけれど、演歌とは一味違うのか?
まず、ロンクィヒの弾く、1849年製、エラールのピアノの、程好く枯れたサウンドが、まさに今の晩秋の気分にぴったりで。モダンのピアノの煌びやかなサウンドでは、ピアノの詩人の、本当の意味での詩情は表現できないのかもしれない。そんなことを思わせる、落ち着いた響きにまず魅了される。そして、そのショパンの時代へと還る響きが、ショパンの音楽を最初の一音からキリっと引き立たせ。また、ロンクィヒのタッチが、淡々とショパンを捉え、冬を前にし、冷たく乾いた空気を感じながら、コートの襟を立てて足早に歩くような、そんな雰囲気に包まれる。ドラマを感じながらも、変に感情に流されない、抑えた音楽運びが、より美しい情景を見せ、そこからより深いドラマを想像させるようでもあり、印象的。いい具合に演歌的なあたりを裏切ってくれる。また、ヘレヴェッヘ+シャンゼリゼ管の、いつもながらの端正なサウンドが、ロンクィヒのタッチとよく合い。オーケストレーションが弱いと言われるショパンのコンチェルトにして、見事に、オーケストラでも、豊かな表情、詩情を聴かせてくれる!
作曲家が生きた時代の楽器を用い、作品のありのままを、真摯に響かせてゆく... 坦々と、ピリオドとしての仕事をこなす、いつもながらのヘレヴェッヘではあるのだけれど、ロンクィヒとともに下手な作為を排してすくい上げられるショパンのコンチェルトには、かなり驚かされた。ピリオドの限界を知り、無理をしないシャンゼリゼ管が、弱いとされるショパンのオーケストラ・パートを、これまでとはまるで違う作品のように瑞々しく蘇らせる!それはまるでベートーヴェンのコンチェルトを思わせて... 雄弁な1楽章(track.2)、融けてしまいそうに甘美な2楽章(track.3)、続く終楽章(track.4)では、メンデルスゾーン(1809-47)、シューマン(1810-56)といった同世代のロマン派のコンチェルトのようにたっぷりとロマンティックに語り、充実した音楽を聴かせてくれる。
そうして、より実感するショパンの生きた時代... 古典派からロマン派へとうつろう中、国民楽派の萌芽も生まれつつあり... 普段は、ピアノの詩人として、あまりにピックアップされ過ぎているのか、どこかでショパンの時代感というものが薄れてしまっていたのかもしれない。ロンクィヒ、ヘレヴェッヘ+シャンゼリゼ管による、ピリオドの枠組みで捉えられたショパンの、時代感の上にしっかりと立った音楽は、あらゆることがナチュラルに流れてゆき、厚化粧で取り繕うのではない、無理の無い素の表情が生む豊かなポエジーに聴き入るばかり。まさか、ショパンのコンチェルトで、こんなにも魅了されるとは!?その、やさしく、儚げで、それでいて温もりを感じる音楽... まさに、今の季節の気分にぴたりとはまり、思い掛けなく心に沁みるようで、癒されさえする。
で、このアルバムのおもしろいところ、ショパンの前に、ノスコフスキ(1846-1909)の交響詩「大草原」を聴けるところ。って、ノスコフスキって誰?というのが正直なところなのだけれど、19世紀後半のポーランドの楽壇において、大きな存在だったとか(シマノフスキの先生らしい... )。で、国民楽派的なトーンで、18分にも及ぶ見事な交響詩を聴かせてくれる。そこには、ぼんやりとショスタコーヴィチを予兆させるような瞬間もあったりで、なかなか興味深い1895年の作品。が、そんな世紀末の作品を、ヘレヴェッヘ+シャンゼリゼ管が演奏するというから、ちょっとびっくり。が、やっぱり無理なく、どこか飄々と演奏してのける彼らであって、ちょっとおもしろい。いや、それより、ノスコフスキが、マニアック過ぎ... というより、19世紀のポーランドの作曲家をあまりに知らない... それだけ、ポーランドにおいて、ショパンという存在はデカ過ぎるのだろうなと... デカ過ぎて、ショパン自体にも歪みが生じているのかもと... ショパンのコンチェルトに癒されつつ、19世紀、ポーランドの音楽について、いろいろと考えてみる良い機会を与えてくれた1枚でもあったか...

Noskowski Step / Chopin Koncert f-moll Lonquich / Herreweghe

ノスコフスキ : 交響詩 「大草原」 Op.66
ショパン : ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 Op.21 *

アレクサンダー・ロンクィヒ(ピアノ: 1849年製、エラール) *
フィリップ・ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管弦楽団

Narodwy Instytut Fryderyka Chopina/NIFCCD 031

11月、コテコテをピリオドで...
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