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最新型、オーケストラで聴く、21世紀、チャイコフスキー... [2012]

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毎月、テーマを設けるわけではないのだけれど、11月はクラシック!
で、行こうかなと... 10月、あまりに世界を旅し過ぎて、肝心の「クラシック」から距離ができてしまった反動というか、何と言うか。というより、やっぱり秋はクラシック!19世紀な気分ムンムンのオーケストラ作品をガンガン聴きたい気分。ということで、今月は、コテコテ系なオーケストラ作品をたっぷり堪能する、ザ・クラシック祭り(いつまでやるかは未定... )。普段、やっぱりマニアック過ぎる当blogのようでありまして、下手にマニアックになり過ぎると、ごっそりクラシックの重要なレパートリーが抜け落ちてしまったりでして。いや、けして嫌いなわけではないのだけれど... そうした、クラシックの核心部、19世紀の作品を、今、改めて聴くプロジェクト(かよっ!?)。
トーマス・ダウスゴー率いる、スウェーデン室内管弦楽団による"Opening Doors"のシリーズ、最新盤から、チャイコフスキーの「悲愴」と、「ロミオとジュリエット」(BIS/BIS-SACD-1959)を聴く。のだけれど、ダウスゴーのチャイコフスキーというのは、やっぱりマニアックか?

この間、線路伝いの道を歩いていて、ふと思ったことがある。通り過ぎてゆく電車の音が軽くなっている!って、今さらの話しなのか?で、こどもの頃、電車の音と言えば、ダッダンダダン... だった。けれど、今の電車は、タタタタン、タタタタン、タタタタン... その重量感の無さに変に驚いてしまう。いや、それだけ技術は進み、省エネになっているのだろうけれど、思いの外、軽快であることに、少し拍子抜けしてしまった。
さて、モダンとピリオドによるハイブリット編成の室内オーケストラで、ロマン派の名作を改めて見つめ直そうという、ダウスゴー+スウェーデン室内管の意欲的なシリーズ、"Opening Doors"なのだけれど、チャイコフスキーが登場!それも、「悲愴」と「ロミオとジュリエット」... どんな演奏を聴かせてくれるのか?と、興味津々で聴いてみたら、そのあまりの軽さに面喰う。ステレオタイプをブチ壊してこそクラシックはおもしろくなる!と、普段から考えてはいるものの、あまりに徹底して、綺麗にブチ壊されてしまうと、とにかく調子が狂ってしまう?何しろ、「悲愴」といえば、チャイコフスキーの遺言のような最後の交響曲であって、「ロミオとジュリエット」といえば、チャイコフスキー作品の中でも特にドラマティックな作品。濃くて重くて当たり前... のはずが、さらりと裏切ってくれるダウスゴー+スウェーデン室内管!これまでも様々に驚かせてくれた"Opening Doors"ではあったけれど、このチャイコフスキーでの驚きは、また際立っている。もちろん、彼らのラディカルさは予想の範疇ではある。が、その予想を越える刷新に、戸惑いすら覚えるほどで... またその刷新が、あまりに易々と成し遂げられてもいて...
まず、「悲愴」(track.1-4)なのだけれど... チャイコフスキーの6つの交響曲の内、「悲愴」にのみあるモノローグ感というか、独特のドラマ性、詩情が、ステレオタイプな「交響楽」という重りを断ち切ることで、スーっと浮上し、まるで無重力空間の中で、まっさらな音楽として新たな生を受けるような感覚があるのか... 「悲愴」という作品の生まれ変わりを体験するかのよう。そうして新たに出会う「悲愴」は、交響曲であることはもちろん、チャイコフスキーであることすら忘れてしまう、浮世離れした感覚に貫かれている。続く、「ロミオとジュリエット」(track.5)は... この作品のロシア流シェイクスピア解釈の異様に重く、暗く、ドラマティックなあたりを、見事に濾過して、一切の濁りの無い透明なドラマを繰り広げ、まったく新たな輝きを見出す!それは、もはやロシアでも、シェイクスピアでもない、ピュアな感情の動きを鮮やかに活写するだけの純音楽だろうか。そこから盛り上げられ、得られる感動は、何だかとても不思議な温度感、感触があって... いや、戸惑いつつ、結局、かなり、おもしろい。
そして、この刷新を成し遂げたダウスゴー+スウェーデン室内管... ハイブリットによる抑制のきいたサウンドだからこそ得られる透明感は尋常でなく、ダウスゴーのコントロールが利き過ぎるぐらいに一糸乱れぬアンサンブルを築いていて、それがまた、一切、無理が無い、奇妙な余裕すら感じられ... さらには、重量感を是としない演奏(ま、重量感でごまかされるのが、常なのかもしれないけれど... )でありながら、「室内」という規模をまったく意識させない、しっかりとした聴き応えがある不思議。何だか、狐につままれたようでもある。いや、これこそが、オーケストラの最新型、省エネ電車... じゃなくて、進化した姿なのかもしれない。こどもの頃、聴いた、チャイコフスキー、「悲愴」、「ロミオとジュリエット」を思い返すと、隔世の感すらある。

Tchaikovsky ・ Symphony No.6; Romeo and Juliet ・ SCO / Dausgaard

チャイコフスキー : 交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 「悲愴」
チャイコフスキー : 幻想序曲 「ロメオとジュリエット」

トーマス・ダウスゴー/スウェーデン室内管弦楽団

BIS/BIS-SACD-1959

このアルバム... もうひとつおもしろいところは、アルバムとしての一体感。
「悲愴」、「ロミオとジュリエット」と、標題を持ち、それぞれに強い個性を放ちながらも、ダウスゴー+スウェーデン室内管の手に掛かると、その表題性が力を弱め、ナチュラルにつながり... 特に興味深いのが、「悲愴」の1楽章と、「ロミオとジュリエット」が、まるで対であるかのような印象を受けること。そのあたりが作用して、アルバム全体がシンメトリックに響くおもしろさ!恐らく「悲愴」のドラマには、道半ばで逝くチャイコフスキー自身の姿が投影されていると想像するのだけれど... それを幻想(幻想序曲だけに... )として、「ロミオとジュリエット」において成就させる、ある種の結末を用意したのかダウスゴー?一方で、「ロミオとジュリエット」は、チャイコフスキー作品における最初の傑作とも言われているわけで... となると、「ロミオとジュリエット」にこそ「悲愴」の予兆が現れていたとことに。そのあたりを浮かび上がらせようとするのかダウスゴー?デジャヴュをひっくり返して、「終わり」と「始まり」を結ぶことで、完結させる、まるで壮大なる輪廻の神秘が籠められたような1枚。なんて言いたくなってしまう不思議な余韻... 軽快にして、浮世離れして、チャイコフスキーの音楽に、思い掛けない世界を繰り広げるダウスゴー、やっぱりタダモノではないのかも...

11月、コテコテをピリオドで...
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