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そして、還る... 源流としてのグレゴリオ聖歌に... [2012]

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10月、音楽で旅して来て、そろそろ帰ろうかなと... さて、何処へ帰るか?
と、辿り着いたのは、グレゴリオ聖歌。それは全ての音楽の始まり... なんて言ってしまうのは大袈裟だろうか?が、今や全世界に広がる西洋音楽。日本だって例外ではない。明治政府による西洋化政策の一環として、西洋音楽の導入が始まって以来、日本は見事に西洋音楽へのリフォーマットをやってのけた。それが良かったのか、悪かったのかはさて置き、我々の音楽は、東洋の果てに在っても、西洋音楽であって、その源流にはグレゴリオ聖歌があるのだ。クラシックに、その延長線上にある現代音楽に限らず、AKBも、津軽海峡冬景色も、元を辿ればグレゴリオ聖歌... そんな風に思いっきり引いて音楽史を捉えると、何だか珍妙で、かなりおもしろい。あの神妙なグレゴリオ聖歌が、時を経て、極東へと伝わり、21世紀の日本の音楽シーンを紡ぎ出しているのだから。
さて、話しを戻して... 大西洋を渡り、地中海を巡り、世界中を漂泊して帰るグレゴリオ聖歌... ヤーン・エイク・トゥルヴェ率いる、エストニアのヴォーカル・アンサンブル、ヴォクス・クラマンティスが歌う、"Filia Sion"(ECM NEW SERIES/476 4499)を聴く。

音楽のみならず、様々なサウンドに包まれた日常にあって、そうした環境に慣れ切った耳で聴くグレゴリオ聖歌というのは、かなり衝撃的だったりする。始まりの、「来たれ、主をたたえ」の、単旋律のシンプルな歌(もちろんア・カペラによる... )が流れ出せば、思わず畏れ慄くような感覚すらある。そして、それは、まさに険しい山に分け入り、音楽史という大河の源流に辿り着いたような感覚でもあって... もうこれ以上、割り切れることのできない音楽における素数というのか、音楽の最小単位としての素粒子とでもいおうか、やっぱりグレゴリオ聖歌は始まりだなと、一切、無駄の無いシンプルさに、思い知らされる。それでいて、そのシンプルさこそが、神々しさを放ち。素数、素粒子から見えてくる、壮大なる宇宙というのも、あるのかもしれない。
アルバムは、そんな源流から、わずかに下って見せる。4曲目、『ラス・ウエルガス写本』からのオルガヌム「処女たちの王」(track.4)の、単声から多声へと一歩が踏み出され生まれるサウンドの広がりに、仄かな刺激を覚える。それは、まだまだストイックな音楽ではあるのだけれど、グレゴリオ聖歌をベースとしたアルス・アンティクァのスタイルの、独特のハーモニーが生む不思議なビターさは、現代人の耳にはビリっとした感覚をもたらすのか。そして、6曲目、ノートルダム楽派の巨匠、ペロティヌスによるコンドゥクトゥス「祝せられた胎よ」(track.6)の、素朴なメロディを朗々と歌い上げる旋律と、それを包む異様なドローン!まるでホーミーか?という不可思議さを放ちながら、遠い遠いゴシックの時代へと一気に連れ去られるようなそのサウンドに圧倒される。
グレゴリオ聖歌と、グレゴリオ聖歌をベースに、今、現在の我々の音楽へと続く長い道のりの第一歩を踏み出した初期の多声音楽。その間を行き来する、トゥルヴェ+ヴォクス・クラマンティスによる"Filia Sion"。長大なる音楽史を振り返れば、けしてドラマティックな進化ではないかもしれないけれど、行き来することで、より豊かなイマジネーションを生み出すのか?またストイックな中にも多彩さはあって... 男声中心のヴォクス・クラマンティス、唯一の女声で歌われるヒルデガルト・フォン・ビンゲンのセクエンツァ「聖霊の炎」(track.10)の、女声の高音の明るさと清冽さは、男声中心に綴られるアルバムの中で、どこか天国的な雰囲気を漂わせ、印象的なアクセントに。「中世」という確固たるイメージが支配しながら、そこにはまた様々なトーンがあり、興味深い。そして、その繊細な多彩さを、巧みに歌い上げるヴォクス・クラマンティス。飾ることなく、また変に研ぎ澄まされるでもなく、素の声をそっと束ね、仄かに温もりを籠めて編まれるアンサンブルには、ただただ惹き込まれる。
そうして響き出す、底知れない世界... そんな世界とつながってしまうと、大自然のただ中に独り放り出されたような、何とも言えない心地にさせられる。"Filia Sion"の世界は、今、現在とはあまりにかけ離れていて、その感覚に慣れず、心許無い思いもするのだけれど、一方で、あまりにテクノロジーに囲まれて生かされる現代社会の、ありとあらゆる束縛から解き放たれるような自由さももたらしてくれるのか... 中世の極めてストイックな音楽の、多くを語らないことで生まれる、思い掛けない雄弁さに驚きつつ圧倒される。そこに、最後に歌われるユダヤ聖歌"Ma navu"(track.15)が、印象的な結末を与えてくれる。聴く者を大きな懐で包み込むような、それまでに無かった色彩的なハーモニーで、それまでのストイックな「中世」から解き放ち、安堵感にも似た感動が広がる。それは、大地に寝そべり、満点の星空を眺め、宇宙の美しさに惹き込まれ、だからこそ人間のちっぽけな存在を思い知らされ、やがて宇宙そのものが降りてくるような、神秘さを味わう... 人の声で、音楽で、こういう境地に至れるとは!この抗し難い癒し!得も言えない心地よさ!

VOX CLAMANTIS / JAN-EIK TULVE
FILIA SION


グレゴリオ聖歌 詩篇 第94篇 「来たれ、主をたたえ」
グレゴリオ聖歌 マニフィカト 「おお、いと聡明なる乙女」
グレゴリオ聖歌 「ガウデアムス」
『ラス・ウエルガス写本』 より オルガヌム 「処女たちの王」
グレゴリオ聖歌 「グローリア」
ペロティヌス : コンドゥクトゥス 「祝せられた胎よ」
グレゴリオ聖歌 「娘よ、聞き、よく見なさい」
ペトルス・ヴィルヘルミ・デ・グラウデンツ : "Prelustri elucentia"
グレゴリオ聖歌 オッフェトリウム 「アヴェ・マリア」
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン : セクエンツァ 「聖霊の炎」
グレゴリオ聖歌 「アニュス・ディ」
グレゴリオ聖歌 「シオンの娘よ、喜べ」
『モンペリエ写本』 より モテット 「おお、マリア」
グレゴリオ聖歌 アンティフォン 「サルヴェ・レジナ」
ユダヤ聖歌 "Ma navu"

ヤーン・エイク・トゥルヴェ/ヴォクス・クラマンティス

ECM NEW SERIES/476 4499

10月、音楽で旅をする...
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