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オイル... ウィ?オック! [2006]

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8月も、最後の一週間を迎えて... 何となしに...
焦る?ような、寂しい?ような、夏の終わりの奇妙な心地は、学校へ通っていた頃の遠い記憶だろうか?三つ子の魂百まで、ではないけれど、こどもの頃の習慣というか、何と言うか、「夏休み」というスペシャルな感覚は、未だに意識のどこかで残っているのかもしれない。そこに、ひたすらに暑くて、お盆休みを挿んで、どこか締まらない8月の、独特な空気感というか、時間の流れがあって... 今年は、さらにオリンピックがあったりで、盛り上がったり、盛り上がり疲れたり、睡眠不足からか、何だか白昼夢のような8月だった。
そんな8月がもうすぐ終わる。そして、夏の終わりに、この夏を振り返る1枚?そんな感じで、ここのところヘビー・ローテーションな、南仏の歌... 素朴なサウンド、カラっとしたメロディ、時折、滲む、センチメンタルに、去りゆく夏に想いを馳せて、2006年にリリースされたアルバム... 古楽で活躍するテノール、ブリュノ・ボヌールが、主催する古楽アンサンブル、ラ・カメラ・デッレ・ラクリメを率いて、故郷、オーヴェルニュのトラッドを歌った"Se canta que recante"(Alpha/Alpha 519)を聴き直す。

日本人にとっての「フランス」というと、とにかく揺るぎないイメージがある。パリを中心とした"おフランス"なのである。が、それは、フランスの中央集権が生み出した幻影なのか?かつて、フランスの南半分は、フランス語を話していなかったという史実がある。イタリア語に似て、カタルーニャ語に近い、オック語が話されていた。それは、ラングドック=オック語を話す地域、という地名にも表れている。カントルーブの『オーヴェルニュの歌』は、全てオック語で歌われる。そして、ボヌールの"Se canta que recante"もまた、南仏、オーヴェルニュ地方のトラッドを集めたアルバムだけに、オック語がメインで歌われる。
フランス語を話せなくとも、フランス語の響きというのは、何となく思い描くことができる。オフランスザンス... 的な、お上品さというか、しっとりとした印象がある。が、オック語は、どこかカラっとしている。そうした語感が、オーヴェルニュ地方のメロディに影響を与えているのか、ボヌールが歌うナンバーは、パーカッションを思わせるような、歯切れのよいリズミックな歌が並び、その飄々とした表情が、何とも言えず魅力的。また、ボヌールの澄んだ声もあって、そのシンプルで、カラっとした歌を聴いていると、晴れ渡る夏の空をイメージさせるよう。古楽アンサンブルによる伴奏も、独特の風合いを与えており。いろいろ音を鳴らすのではなく、パーカッションをメインに、さっぱりとした伴奏を繰り広げるのだが、これがまたカラっとした雰囲気を生み、夏を思わせておもしろい。何より、ボヌールの澄んだ声を、よく引き立てて。2曲目、セ・カンテ(track.2)の、パーカッションだけの伴奏なんて、見事... トラッドの古風さは薄まり、浮き立つような気分に包まれ、たまらなく心地よい。
そして、興味深いのがフランス語で歌われるナンバー... オック語の歌の後で聴くフランス語の歌の、よりメロディックで、しっとりとした佇まいに、ちょっとドキっとしてしまう。4曲目、初めてフランス語で歌われるナンバー「心地よい木立ちに夜啼鶯」(track.4)が始まった瞬間、空気が変わるような感覚がそこはかとなしにあって。いや、それくらい、オック語と、フランス語と、それぞれの言葉が持つ文化、背景の違いを考えさせられる。フランスにしてフランスではない感覚の存在と、その魅力。アルルの女にアルルカン、ゴッホにセザンヌに、フランスにあって、フランスとはまた一味違ってクローズアップされる「南仏」というものを捉え直す機会を与えてくれるのが、"Se canta que recante"。だからといって、別に政治的になるでもなく、比較文化論を気難しく展開するでもなく、ただひたすら、素敵な歌とサウンドで充たされて、オック語にしろ、フランス語にしろ、オーヴェルニュ地方のトラッドの、説明抜きに、聴く者の耳を捉える真っ直ぐな音楽に、魅了されずにいられない。
そんな、オーヴェルニュを聴かせてくれたボヌール... その飾らない歌声が、心に沁みる。彼の、明るく、やさしく、素朴なトラッドのメロディにはぴったりの歌声に触れていると、それこそ南仏へ、牧歌的な風景を求めて、ヴァカンスにでもやって来た気分にさせてくれる。そんな旅する感覚に、また癒されたりもして。アコーディオンの伴奏で、アレンジを変えて歌われるセ・カンテ(track.12)などは、まるで自分が故郷に帰って来たような、センチメンタルが広がり、どこか胸が締め付けられるようでもあり。様々な表情で、オーヴェルニュを歌い尽くすボヌール、その巧みさ、ディレクターとして、ラ・カメラ・デッレ・ラクリメを率いる、そのセンスも光り、聴き入るばかり。ラ・カメラ・デッレ・ラクリメのパフォーマンスもすばらしく、ボヌールにそっと寄り添う楚々としたタンピのリュート、縦横無尽のトゥレーの多彩なパーカッション、どれも印象深く。ゲストとして参加しているメティヴィエのアコーディオンも、素朴でありながら雄弁で、その存在感は鮮やかで、忘れ難い。
トラッドならではのノスタルジーを少し抑えて、オーヴェルニュが持つ「フランス」とは一線を画す興味深さを、新鮮に掘り起こしたボヌール。"Se canta que recante"は、古楽を用い、トラッドにして、そうした形や枠を越えた、シンプルな音楽が持つ力強さを聴かせてくれる。それは、まさに、オーヴェルニュのソウル・ミュージック。その魂が、言語を越えて、心に響く。

Se canta que recante
Bruno Bonhoure - La Camera delle Lacrime


ラ・モルト 死せる女
セ・カント 小鳥がうたう、また歌う
おいらは5スーしか持ってない
心地よい木立ちに夜啼鶯
薔薇よ咲き誇れ
ラ・ヨエット ヨエットに会いに行く
ラ・ムラリャド 汚れた顔の娘さん
パストゥレル・デライ・ライオ 対岸の女羊飼い
ライオ・デ・ロージョ おまえを殺す、この赤い水
兵隊少女
ル・ルシニョル 夜啼鶯
セ・カント 小鳥がうたう、また歌う 〔別ヴァージョン〕
森を抜けて行こうとすると
タ・リン・タ・ルン 露が落ちてきた
ラ・モルト 死せる女 〔別ヴァージョン〕
ラ・カティ きれいな歌を聴きたいかい、少女と亡者の出てくる歌を
さらば、愛らしきイサボーよ!
ル・スダール ある兵士の歌

ラ・カメラ・デッレ・ラクリメ
ブリュノ・ボヌール(ヴォーカル/ディレクター)
ジャン・リュック・タンピ(ルネサンス・リュート/マンドーラ)
カラン・トゥレー(パーカッション)

パトリツィア・ボヴィ(ヴォーカル)
アルノー・メティヴィエ(アコーディオン)

Alpha/Alpha 519




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