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オーケストラは進化している。 [2006]

村上春樹氏による小澤征爾氏へのロング・インタヴュー、『小澤征爾さんと、音楽について話しをする』を、図書館から借りてきて、ちょこちょこ読み進め、そろそろ終わりが見えてきたのだけれど... やっぱり、世界のオザワが歩んできた道というのは、凄いなと。その長いキャリアを振り返って語られるエピソードの数々は、すでに音楽史の一部であって、興味深いものばかり。そうした中で、オーケストラのレベルの話しが印象に残る...
「マーラーだろうが、ストラヴィンスキーだろうが、ベートーヴェンだろうが、なんだってすらすらこなしますよ、というオーケストラも増えてきました。昔はね、そうじゃなかったと思うんです。」
オーケストラは総体的にレベルが上がってきている?!そんなことを語るマエストロ... ふと振り返ると、マーラーにしろ、ストラヴィンスキーにしろ、クラシックを聴き始めた頃(90年代半ば頃?となると、四半世紀も昔ではないのだけれど... )と、今の演奏で聴く感覚は違ってきているように感じる。以前より聴き易くなっている?つまり難解なところが、よりクリアにされてきている?もちろん、聴き手のそれなりの成長もあったかもしれないけれど、オーケストラも進化している... というマエストロの話しがとても興味深く、また腑に落ちるものであり。
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で、ふと思い出した演奏、2006年にリリースされた、エサ・ペッカ・サロネンと、彼が率いたロサンジェルス・フィルハーモニックによる、ムソルグスキーの「禿山の一夜」、バルトークの『中国の不思議な役人』組曲、そしてストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』(Deutsche Grammophon/477 6198)を聴き直してみる。この刺激的な1枚に、進化するオーケストラの姿を見出す?

「禿山の一夜」、『中国の不思議な役人』、『春の祭典』...
改めて見つめると、見事に個性際立つ3作品で。それを1枚に... というのは、ちょっと盛り込み過ぎに思えなくもないのだけれど、かえってそういうテンションというか、熱さに、グイグイと惹き込まれてしまい... このアルバム、久々に聴き直してみれば、こんなにもおもしろかった?なんて、変に驚いてしまう。
まず、始まりの「禿山の一夜」。いつものリムスキー・コルサコフ版ではなく、ムソルグスキーによるオリジナル版の演奏なのだけれど。煌びやかなリムスキー・コルサコフ版では味わえない、ムソルグスキーによるダークで蠢く感覚が、フランケンシュタインやドラキュラを生み出した19世紀の「闇」を浮かび上がらせ、より魅惑的。で、L.A.フィルの演奏が、そうした19世紀感を器用に醸し出してもいて。雰囲気たっぷりに、ノスタルジックなホラー・トーンが絶妙!近現代のスペシャリストとして、クールなサロネンのイメージは強いわけだけれど、「雰囲気」という曖昧模糊とした感覚を丁寧に紡ぎ出しているサロネンに、妙に感心してしまう。続く『中国の不思議な役人』組曲(track.2)でも、怪しげな「雰囲気」がしっかりと描き込められ... すると"マンダリン"のエキゾティックなあたりがそこはかとなしに濃くなるようで、バルトークの音楽が持つ近代性よりも、フォークロワに根差したお伽噺的な性格が浮かび上がり、グロテスクな物語に奇妙な温もりを与え、やっぱりどことなしにノスタルジックでおもしろい。
そして、『春の祭典』(track.3-16)なのだけれど... やっぱりオーケストラは進化している!と思わせてくれる、凄い演奏を繰り広げる。で、その進化を意識させるポイントが、そこに「凄さ」を感じさせないところ。何だか矛盾するのだけれど、難曲を前にして、危なっかしいところなど探しようがないL.A.フィル。それどころか余裕綽々で、その十分に余裕を持ったところから、徹底して作品を描き尽くしてゆくサロネン。すると、変拍子に、不協和音に、音楽の伝統を破壊したはずのエポック・メーキングな作品は、必ずしも破壊的には響かない、驚くべき姿を見せてしまう。暴力的で、バーバリスティックさこそ魅力だったはずが、色彩豊かに、古のロシアの絵巻物が描かれるような、雅やかすらあって、その変容に戸惑いつつも、そういう次元に至ってしまったことに息を呑む。とはいえ、けして大人しいわけでなく、隙なく極めて密度の濃いサウンドが発するパワフルさは、また独特で、他にはない輝きを見せる。で、おもしろいのが、「禿山の一夜」、『中国の不思議な役人』と、ダークなあたりから一転、『春の祭典』が、明るいこと。春の芽吹きの瞬発力のようなものを、鮮やかに作品に籠めて、颯爽とした気分が強く印象に... そんな演奏を、鮮やかに録らえた録音も、また凄い!録音のクリアさが、この演奏が如何にクリアであるかをまざまざと記録し、サロネンが鍛え上げたL.A.フィルの縦横無尽のパフォーマンスがこれでもかと映える。
しかし、サロネンに率いられていたL.A.フィルの演奏を改めて聴いてみて、彼らの黄金期の、最も脂の乗った頃を少し懐かしく思う。名門ひしめくアメリカ東海岸のオーケストラを向こうに回し、新たな時代のクウォリティで、気になる演奏を繰り広げていた頃... 鮮やかに決まった「禿山の一夜」、『中国の不思議な役人』、『春の祭典』を久々に聴けば、彼らの"なんだってすらすらこなしますよ"を思い知らされる。一見、「バーバリスティック」という言葉で簡単に括れそうな3作品だけれど、バーバリスティックな分、それぞれに個性はきつい。その個性を徹底して解析し、単なる「バーバリスティック」に留まらない、これまでにない解像度で、3作品、それぞれを、苦も無く描き尽くすサロネン、L.A.フィル。その緻密さ、明晰さから生み出される、より豊かなイマジネーションが、聴き知った作品に新たなイメージもたらす魔法... そこにオーケストラの新たな地平が見えていたのだなと、感慨深く。そして、オーケストラは、間違いなく進化を続けている。のだなと。

LE SACRE DU PRINTEMPS
LOS ANGELES PHILHARMONIC ・ SALONEN


ムソルグスキー : 禿山の一夜 〔オリジナル版〕
バルトーク : 『中国の不思議な役人』 組曲 Op.19 Sz.73
ストラヴィンスキー : バレエ 『春の祭典』 〔1947年版〕

エサ・ペッカ・サロネン/ロサンジェルス・フィルハーモニック

Deutsche Grammophon/477 6198



オーケストラのレベルの話しで... というより、世界のオザワの武勇伝として、もの凄くおもしろかったのが、ベルリン・フィルがヒナステラの『エスタンシア』で、大いに手古摺ったというエピソード。できなさ過ぎて、笑ってしまった打楽器セクションに、「天下のベルリン・フィルともあろうものが、明後日にはもう本番だというのに、こんなことでどうするんだ」と怒鳴って、「休憩(パウゼ)!」の一言で、そのままニューヨークに帰ろうとしたというから、おおっ!となる。天下のベルリン・フィルに啖呵を切るカッコ良さ!読んでいて、ちょっと快感だった。けど、結局、楽団長らにうまいこと謝られて、ちゃんと指揮台に立ってしまうあたりが、みんなに愛されるマエストロのかわいいところなのだろうなぁ... ということはさておき、ベルリン・フィルが『エスタンシア』で手古摺ったという事実が、興味深い。
今じゃ、『エスタンシア』なんて、どこでも聴ける。ベルリン・フィルだって、ヴァルトビューネのピクニック・コンサートあたりでは、盛り上がるツボだったり。最近じゃ、南米のユースあたりの十八番だったり。作品の受容と、新しい作品をこなす技量は、日々、進化しているのだなと、再確認するエピソードだった。
そして、このエピソードを語るにあたり、もうひとつおもしろかったのが...
「アルゼンチンの作曲家で、ヒナステーラっていうのがいるんだけど、知ってますか?」
「知りません」
とにかく、村上氏のマニアックっぷりに圧倒されるロング・インタヴューで、世界のオザワすらちょっと中てられている?帰来も無きにしも非ず?なのだけれど、そんな村上氏に、ボコっと盲点があることに驚かされる。てか、ヒナステラって、もういい加減、無名ではないと思うのだけれど... そう思っているだけか?
いや、「マニアック」にもいろいろ種類があるということだな... と、村上氏とは違うベクトルを持つマニアックとしては、興味深く思う。クラシックに幅があれば、マニアックにもまた幅がある。



参考資料。




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