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back to B-A-C-H. [2006]

村上春樹氏による小澤征爾氏へのロング・インタヴュー、『小澤征爾さんと、音楽について話しをする』を、図書館から借りてきて、合間を見つけつつ、ちょこちょこ読んでいるのだけれど... 書かれている"音楽"はそっちのけで、ふたりによる音楽についての"話し"、対話が醸す雰囲気にただならず魅了されてしまう。かなりコアな話しをしつつも、両巨頭の気の置け無さが凄く素敵で、スルスルっと惹き込まれてしまって... あーっ!と、時間が経ち過ぎていることに気付き、ヤバイ思いを何回かしております。ところで、インタヴュー、第1回を終えてのインターリュードが、ちょっとおもしろい、というか、気になってしまった。
世界のオザワは、レコード・マニアが嫌い!というか、レコード産業が嫌い?最初に読んだ時は、わかるわかる... と、頷かされたのだけれど、よくよく読んでみると、ん?マエストロが定義する「マニア」って、どういう人なのだろう?ちょっとわからなくなる。何しろ、村上センセのマニアっぷりが圧巻でして... てか、今、こうして書いているヤツがマニアックちゃうんけ?ひーっ!となる。そういや、ここのところ、18世紀の重箱の隅をつつき過ぎていたかなぁ。なんて、思い返し、クラシックの大本に還ってみようかなと。バッハへと還る。
2006年にリリースされた2タイトル、ミッシャ・マイスキー(チェロ)が、ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)、今井信子(ヴィオラ)とともに、22年ぶりに再録音したシトコヴェツキー版、弦楽三重奏によるゴルトベルク変奏曲(Deutsche Grammophon/477 6378)と、アラン・シラー(ピアノ)、ジョン・ハンフリーズ(ピアノ)のデュオによる、バッハの『フーガの技法』、その最後の未完のフーガを完成させた?ブゾーニの対位法的幻想曲(NAXOS/8.557443)を聴き直す。


心地よく風を切って... シトコヴェツキー版、ゴルトベルク変奏曲。

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1984年に、編曲者自身によって初録音されてから22年、2006年に改めて録音された、シトコヴェツキー版、弦楽三重奏によるゴルトベルク変奏曲。初録音でチェロを弾いたマイスキーが、ヴァイオリンにラクリン、ヴィオラに今井を迎えての演奏を、今、改めて聴き直すのだけれど。弦楽三重奏でのゴルトベルク変奏曲、やっぱりいい... 今や、アコーディオンに、パイプオルガンに、ヴィオラ・ダ・ガンバのコンソートなど、様々に演奏されるゴルトベルク変奏曲。オリジナルのチェンバロによる硬質な響き、一般的なピアノでのダイナミックな響き、も、いいのだけれど、そうしたいつもの響きから離れることで、バッハの傑作は、また新たな輝きを放ち始める。シトコヴェツキー版では、弦楽器のやわらかさ、深み、艶やかさ、そしてトリオによるアンサンブルというあたりが、より親密なやさしさを響かせるよう。そうして生まれる、何とも言えない温もり。これが、たまらなく心地いい。
まず、始まりのアリア... あの得も言えない旋律を、ヴァイオリンが歌う。そして、ヴィオラ、チェロがそっと寄り添う。鍵盤からはけして生み出し得ないこの感覚!そのサウンドに触れていると、自身を取り巻くあらゆるシガラミが静かに融けてゆくようなそんな感覚にさせられる。そして、バッハは何とやさしい音楽を書いたのだろう... と、今さらながらに感じ入ってしまう。これがバッハの音楽の凄いところで、アレンジをすんなりと受け入れ、また新たな輝きを放ってしまう。そのフレキシブルさは何だろう?他の作曲家ではあり得ない懐の深い音楽が、楚々として密やかなアリアに、とてつもない宇宙を見せてくれる不思議。もう、のっけからじんわりとしてしまう。
そんなアリアを聴いての、第1変奏(track.2)。その思い掛けなく快活で爽やかなあたりは目が覚めるよう。心地よく風を切ってゆくような軽やかさ!マイスキー、ラクリン、今井の確かな音楽性が紡ぎ出すスピード感は、身をゆだね切れる安心感があって、すーっと、バッハによる変奏の森の奥へ奥へと導いてくれる。そうして、次から次へと流れてゆく風景に心地よく酔う。とにかくナチュラルで、3人のバランスがすばらしく、丁寧な演奏なのだけれど、いい具合にスピード感があって、心地よさが最後まで尽きない。何より、心地よくも常に温もりに溢れ、弦楽器なればこその風合とゴルトベルク変奏曲の相性の良さを見事に響かせる。とにかく魅了されずにいられない。そして、再びアリア(track.32)へと還る感動!

BACH: GOLDBERG VARIATIONEN
JULIAN RACHLIN | NOBUKO IMAI | MISCHA MAISKY


バッハ : ゴルトベルク変奏曲 BWV.988 〔シトコヴェツキー編曲、弦楽三重奏版〕

ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)
今井 信子(ヴィオラ)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)

Deutsche Grammophon/477 6378




ブゾーニによるバッハ幻想譚... 対位法的幻想曲。

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バッハへと還る... そういう感覚が、クラシックにはあるような気がする。例えば、ロマン主義が煮詰まり出した頃、それこそバッハ以来の音楽が、やるべきことをやり尽くしてしまって、もう先へ進めない。そんな状況に陥り始めた頃、バッハは存在感が増すのか?末期症状のロマン主義の中からレーガーが、ロマン主義が崩れた先で新ウィーン楽派が、新しいモダニズムからストラヴィンスキーが、それぞれにバッハと向き合ってい、興味深い編曲、作品を残している。そして、もうひとり、そうした時代、独特なポジションにあった希代のヴィルトゥオーゾにして、音楽学者、作曲家、ブゾーニ。その代表作のひとつ、対位法的幻想曲を、シラー、ハンフリーズによる2台のピアノで聴くのだけれど... 久々に聴くと、おもしろい。で、久々でないと聴けないのかも...
バッハの『フーガの技法』の、最後の未完のフーガを基にした大作。けど、その始まりは、リストっぽくちょっと芝居掛かって弾けて、バッハ的な感覚は薄い。が、じわりじわりと、その対位法が管を巻き始め、やがて懸案のバッハによるフーガが現れて、またそこから壮大なフーガの迷宮へと迷い込んでゆくような... そのタイトルこそ、何だかアカデミックで、音楽学者、ブゾーニの気難しさみたいなものを予想させるのだけれど、いや気難しさはもちろんあるのだけれど、間違いなくバッハをモチーフにした壮大な幻想曲であって... それがまた、ちょっとおどろおどろしくすらあって... 改めて聴いてみれば、その幻想譚的なミステリアスさが、おもしろい。
一方で、シラーとハンフリーズによるタッチは、実に軽やか。作品の持つヘヴィーさにはまり込まない飄々とした演奏を繰り広げ、そのギャップがおもしろい。で、その突き抜けたマイペースさが、かえってブゾーニの音楽の微細な輝きを捉えて、作品が否応なしに抱える仰々しさを、すーっと薄めてしまう。そんな彼らのセンスが最高に活きてくるのが、最後に取り上げられるモーツァルトの19番のピアノ協奏曲の終楽章による協奏的小二重奏曲(track.4)。それまでの重々しさからは一転、モーツァルトなればこそのキャッチーで愛らしいフレーズが、オリジナル以上に軽やかに弾けて、何とも言えないハッピー感でアルバムを結ぶ。シラーとハンフリーズの軽快なピアノが、楽しい気分でいっぱいにしてくれる。

BUSONI: Music for Two Pianos

ブゾーニ : 対位法的幻想曲
ブゾーニ : バッハのコラール 「幸いなるかな、おお魂の友よ」 による 即興曲
モーツァルト : 自動オルガンのための幻想曲 〔ブゾーニによる2台ピアノ版〕
ブゾーニ : モーツァルトのピアノ協奏曲 第19番 の終楽章による協奏的小二重奏曲

アラン・シラー(ピアノ)
ジョン・ハンフリーズ(ピアノ)

NAXOS/8.557443


村上春樹氏はシベリウスの交響曲が好き... で、シベリウスをマエストロにリクエスト。するとマエストロは、5番?3番?と返される。シベリウスの交響曲というと、一般的には2番なわけだけれど、そっかー、5番か3番なんだね。感慨深くそのやり取りを読む。僕も5番が好き。で、僕もリクエストしちゃうなら、北欧つながりでニールセンの5番。かな。で、マエストロには、まだまだ元気でいて欲しい!



参考資料。




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