SSブログ

ロマン主義について... [2006]

ここのところ、何気に思う。ロマンティックって何だろう?
クラシックなんてものを聴いていると、「ロマン主義」は日常である。が、現代人はその感覚をどれほど理解できているのだろう?ロマンティックという言葉があまりに使い古され、少々、安っぽい位置に落ちてしまった21世紀。ゲーテやバイロン卿が、新しい感性としてロマンを見出しつつあった頃、そのピュアな感覚は、さぞ若々しく、危ういくらいに鮮烈なものだったろう。そこから、めくるめくロマンは躍動し、やがて、とぐろを巻いて芸術を呑み込み、亜種を生み、また煮詰まって腐り、死を前に甘い薫り放って、再び人々を酔わせ... そんなロマン主義の生々しい歩みを、我々は、どれほど共感を以って、捉えることができるのだろう。あるのは化石化したロマンか、似非のロマンばかり、リアルにロマンもへったくれも無い、無味乾燥な現代社会において、ロマン主義に共感するとはどういうことなのか。つい考えてしまう。考えても始まらないけれど... さて、2006年にリリースされたロマン主義を2タイトル。これで答えを導き出そうなんて、さらさら思ってはいないが、改めて、じっくりロマン主義を聴いてみたくなり...
ケント・ナガノと、彼が率いたベルリン・ドイツ交響楽団によるブラームスの4番の交響曲とシェーンベルクの管弦楽のための変奏曲(harmonia mundi FRANCE/HMC 901884)。ファビオ・ルイジと、彼が率いたMDR交響楽団らによるマーラーの「復活」(Querstand/VKJK 0608)を聴き直す。


ケント・ナガノのブラームス、そこからシェーンベルクへ...

HMC901884.jpg
ブルックナーのツィクルスに、手の込んだベートーヴェンのツィクルス... SONY CLASSICALにて、スタイリッシュかつゴージャスに活躍するマエストロ、ケント・ナガノ。だが、SONY CLASSICALと契約する以前、harmonia mundiからアルバムをリリースしていた頃のマエストロは、あまり目立たなかったように思う。かつていたワーナーや、今いるソニーと違って、harmonia mundiがマイナー・レーベルだから?もはや、メジャー/マイナーは、あまり関係ないはずだけれど... しかし、そのharmonia mundiからリリースされたケント・ナガノのアルバムを振り返ると、どれも個性的で興味深いものばかり... その仕事ぶりにセンスとこだわりが溢れるharmonia mundiと、クラシックに新たな視点を見出そうと常にチャレンジングなケント・ナガノ、両者の相性は最高だったのでは?今、改めてそんなことを思う。そして、ケント・ナガノのharmonia mundiからのリリース、ブラームスとシェーンベルクを組み合わせたおもしろいアルバムを聴き直してみれば...
ケント・ナガノらしい、あらゆる柵から自由になった演奏を繰り広げている!特に、1曲目、ブラームスの4番の交響曲(track.1-4)。ブラームス特有の、古典主義で気取って、アカデミックに管を巻くようなあたりを、明晰に処理し、作品の流れをとても大切に響かせてくる。となると、まったく聴き易い!何より、この作品の持つ、バッハ由来の古典的な厳つさよりも、交響曲として音が構築されてゆく精緻なメカニズムを詳らかにし、その駆動するカッコよさを見出してゆくよう。そのさっぱりとしたロマンティシズムが、21世紀にはとても心地よい... というのは、以前にも感じていたのだが、改めて聴き直してみると、ブラームスという、クラシックの大家の音楽を、堂々と鳴らしてもいて、この気難しい大家を、大いにリスペクトするようでもある。単に現代的に仕上げるのとは一味違う、クラシックであり、古典的であることを、素直に受け入れて得られる、しっかりとした聴き応えにも魅了される。
続く、2曲目、シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲(track.5-16)... ブラームスの交響曲の後で、12音音楽?ともなりそうだが、いや、これが見事!バッハ由来の古典的な厳つさの先に、12音技法のシステマティックさを響かせ。ブラームスの重厚なロマンティシズムの後でシェーンベルクを聴けば、12音音楽にロマンティシズムの煮詰まったドロドロを見せられるようでもあり、おもしろい!新ウィーン楽派を、一脱した音楽として、現代音楽に結び付けるのではなく、ロマン主義の延長線上に、しっかりと括り付ける。ケント・ナガノならば、12音技法のシステマティックなあたりのクールさを磨いてくるかと思いきや、19世紀の情念を20世紀にヘヴィーに垂らし込んで意表を突く。そんなマエストロ・ナガノの縦横無尽さに、改めて感服させられる。そして、マエストロ・ナガノの縦横無尽さに、全幅の信頼を寄せる、ベルリン・ドイツ響の確信に満ちたサウンドには、ほれぼれするばかり!いや、聴き直して良かった... このアルバム、こんなにもおもしろかった?!

BRAHMS SYMPHONIE No. 4 NAGANO

ブラームス : 交響曲 第4番 ホ短調 Op.98
シェーンベルク : 管弦楽のための変奏曲 Op.31

ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団

harmonia mundi FRANCE/HMC 901884




ファビオ・ルイジの「復活」。それは浄化の音楽。

VKJK0608.jpg
(2006年8月29日にupしたものを改めてここに再upします。)
マーラーの交響曲は好き。けど、「復活」にはどこかアレルギーが...
どうも、「復活」とか、「千人の交響曲」とか、もっともらしく、ドラマティックに、壮麗に仕上げられてしまうと、天の邪鬼な性格ゆえか、素直に受け取れないようなところがあって。そのイカニモな形を、嫌煙してきた。いや、やっぱり交響曲の健康的な姿というのは、規模やら、コーラスやら、そういう扇情的な要素に左右されない、ストイックに抽象的な純音楽を志すもの。そもそも、第九が間違いだったか... なんて、言っても、始まらないのだが、マーラーの交響曲は好き。でも、3番と4番は許せても、「大地の歌」は別物として聴けても、「復活」と「千人の交響曲」には拭い切れない抵抗感があった。しかし、ファビオ・ルイジが指揮というのであるならば、何か違ったものがそこにあるのかも... と、期待は膨らみ、手に取ったアルバム... は、期待通り。いや、それ以上なのかも。
なんて繊細な音楽!一切、澱むことなく、極めてナチュラルな流れが、滔々と続いてゆく... 繊細だけれど、雄大で、まったく力むことなく、ただただ流れてゆく... そんな流れに身を任せてしまえば、フィナーレなどあっという間。この感覚に驚いてしまう。とはいえ、そのフィナーレには、長い旅を経ての、たまらない感動が迫ってくる。その感動には、けして押し付けがましいところなどなく、聴く者を驚くほど深い懐でやさしく包み込み。気が付けば、ありとあらゆるものを洗い流し去って、ピュアな自身を取り戻すような、圧倒的なる浄化の音楽が広がる。
ルイジの「復活」には、全編、付け焼刃になる瞬間がない。変な濃厚さも、臭さもない。全てが達観された視点から奏でられるのか。"フッカツ"なんて響きには、どこか安っぽさすらあったけれど、ルイジが響かせる「復活」は、我々が日常では感知し得ない、壮大な世界が込められているよう。人間というちっぽけな存在では触れてはいけないような、圧倒的なる世界... 19世紀、ロマンティックの集大成としての、到達点のようなものを見出す。それは、ロマン主義の結晶なのかも。そして、その結晶に触れる感動!現代が失ってしまったものを、今、改めて再認識させられようで、切なくなってしまうのだけど。だからこそ、何か、言い知れない感動がこみ上げる。で、「復活」って、こんなにもいい曲だったの?!聴き終えれば、アレルギーなど忘れてしまっていた。
という、すばらしい演奏を聴かせてくれた面々... 今、最も聴きたいメッゾ・ソプラノ、藤村実穂子。彼女の深く艶やかな歌も最高(実は、最初、ルイジよりも、彼女の歌に期待していたり... )。それから、MDRのコーラスもすばらしく。室内合唱のような透明感、瑞々しさを持ち、数の力で押し切るようなことはけしてない。もちろん、パワー不足を感じることは一切無く、ルイジの世界観にぴったり。フィナーレの、突き抜けてくる透明な声は、感動を倍にする!いゃぁ~ ドイツのコーラスは、どこも凄い!さらに、MDR響。ライプツィヒと言えば、これまで迷うことなくゲヴァントハウスだったけれど、MDRだって凄い!そして、ルイジ+MDR響の演奏を、もっと聴きたくなる。これまでリリースされている全てのアルバムとか... そんな勢いで...

GUSTAV MAHLER | SINFONIE NR. 2 C-MOLL "AUFERSTEHUNGSSINFONIE"

マーラー : 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」

ファビオ・ルイジ/MDR交響楽団、同合唱団
クリスティアーネ・エルツェ(ソプラノ)
藤村 実穂子(メッゾ・ソプラノ)

Querstand/VKJK 0608




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。