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受難から、創造へ... [2007]

橋下市長が動き出して、橋下知事が就任した時みたいなニュースが、いろいろ出て参りました。例えば、大フィルの予算をカットするとか、大阪市立近代美術館の建設を白紙にするとか... で、大フィルへの市の予算が1億1000万円... って、そんだけかよ?!というのが正直なリアクション。カットするには拍子抜けしてしまう額。ヨーロッパのオーケストラに比べたら... はぁ?となる。で、市立近代美術館に関してちょっと調べたら、153億円分の所蔵作品?!ひぇーっ!それだけのコレクションを抱えながら、これまで展示する箱が無かった?それならば、国立国際あたりに、丸々、寄託しちゃえば?てか、大阪市美、あるやん...
何と言いますか、本当にクウォリティのあるものを、きちっとお金を掛けて、提供する。そういう一本筋の通った文化行政を切るとなったら、大騒ぎすべきだけれど、「芸術」という看板を掲げて、大したクウォリティを維持できていないものに、指針なく、パラパラ、パラパラ、予算を振り撒くようなことは、終わりにしないと。橋下さんの芸術への姿勢は、残念ながらこどもじみて、的外れだけれど、橋下さんが招く厳しい状況に、芸術界も、目を覚まさなくては。バブルが弾けて、受難の時代をサバイヴしてきたことはよくわかるけれど、いい加減、守勢から切り返さな... いや真の意味での創造を始めないと、芸術は消失してしまうように感じる。あいつは芸術をわかっていない... と、文句を言うのは簡単だけれど。その前に、まず、芸術界自身が変わらなくては... 現状維持ではなくて、本当に意義のある、どんな人にも説得力を持った姿に生まれ変わる。芸術とは、本来、そういうものだし。
なんて、書いたところで、どーかなるわけでもなく、どっちもどっちな状態を見せられていると、もどかしいばかりなので、ここは、18世紀、古典派の時代のフレッシュなサウンドを聴いて、リフレッシュ!2007年にリリースされた、ヴェルナー・エールハルト率いる、ラルテ・デル・モンドによる、パイジェッロのヨハネ受難曲(CAPRICCIO/60133)と、ウィリアム・クリスティ率いる、レザール・フロリサンによる、ハイドンのオラトリオ『天地創造』(Virgin CLASSICS/3 95235 2)を聴き直す。


シンプルで、フラットで、不思議な、パイジェッロのヨハネ受難曲。

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パイジェッロの受難曲?ナポリ楽派の受難曲って、どんなだろう?
と、興味津々で手に取ったエールハルト+ラルテ・デル・モンドによるパイジェッロのヨハネ受難曲(世界初録音)。聴いてみて、ガックリきてしまった。バッハのイメージが強過ぎたか、受難曲というスタイルへのドラマティックな期待... 何より、ナポリ楽派への華やかなサウンドへの期待... それら、見事に裏切られてしまって。嗚呼、何と地味な音楽だろう。アッシジで演奏するために書かれた受難曲らしいが、恐らく、四旬節に、粛々と聴くべき音楽として作曲されたのだろう... いや、受難曲とは、本来、そういうものなのだろう... そして、これは、ある種の機会音楽だと言えるのかもしれない。何となく、そんな風に納得した、パイジェッロのヨハネ受難曲だった(道理で、世界初録音が21世紀にまでズレ込んだわけだ... )。が、今、改めて引っ張り出して聴いてみると、また違った感覚で接することができる。というより、思い掛けなく美しい!いや、そのことに驚いてしまったり...
ロッシーニを予感させる、華やかでキャッチーなパイジェッロのオペラとは一線を画す、シンプルな音楽。バロックを脱した軽やかさで、やさしげなメロディが短く並び、フラットにまとめられて。福音史家と、キリストが、淡々と受難の物語を歌い綴り、時折、挿まれるコーラスが、多少、アグレッシヴに歌い、その瞬間、空気が少し変わる。その、不思議なくらいのシンプルさ、フラットさに、肩透かしを喰らってしまったのだけれど、いや、そこにこそ美しさがあった... パイジェッロのヨハネ受難曲、先入観なしに向き合えば、これほどにやさしい音楽は無いのでは?と思えてくる。何より、心地いい... 手応えを求めずに、その手応えの無さに、他には無い充足感を見出してしまう不思議な音楽。これは、相当に希有な音楽なのかもしれない...
そして、エールハルト+ラルテ・デル・モンドの演奏がすばらしい。シンプルでフラット、その掴みどころの無いあたりを、さり気なく活き活きと響かせていて。派手に立ち回るようなことは無くとも、しっかりとした音楽を紡ぎ出している姿が印象的。また、福音史家を歌うルンド、キリストを歌うマウフ、この2人のソプラノの美しい歌声も印象的で。受難の深刻さは消え去って、天国的なやわらかなさが広がり、何だかハッピー!

GIOVANNI PAISIELLO
PASSIO DI SAN GIOVANNI


パイジェッロ : ヨハネ受難曲

福音史家 : トリーネ・ルンド(ソプラノ)
キリスト : モニカ・マウフ(ソプラノ)
ピラト : イェルク・シュナイダー(バリトン)
ヴォーカルコンソート・ベルリン(コーラス)
ヴェルナー・エールハルト/ラルテ・デル・モンド

CAPRICCIO/60133




軽やかに、やわらかに、フランス流、レザール・フロリサンの『天地創造』。

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ハイドンのオラトリオ『天地創造』というと、その威容に、堅苦しいイメージがある。
旧約聖書、創成期の第1章、まさに世界の始まりを描いたオラトリオ。ということもさることながら、ハイドンの最晩年に作曲(1796-98)されたオラトリオは、古典派の集大成でもあって、ただならぬ存在感がある。安易に聴ける音楽ではないような... が、そういうイメージとはまた違う感覚を見せる、クリスティ+レザール・フロリサンの演奏。それは、フランス流というのか、レザール・フロリサンならではの軽やかさが、これまでのイメージと少しズレているようで、何となく戸惑いを覚える。という第1印象から、改めて聴いてみるのだれど... 視点を、ハイドンからクリスティに移すと、まったくおもしろいものとして響いてくる。というより、傑作、『天地創造』が、完全にクリスティ+レザール・フロリサンのセンスに引き込まれていて、新たな魅力を放ち始める。
カオスにやがて光が差し、世界の創造が始まる、あまりに劇的な冒頭。聴かせ所なわけだが、さほど力を込めて描き出さない、クリスティの天の邪鬼な姿勢がおもしろい。フランスから見つめる、『天地創造』には、どこか、古典派の巨匠、ハイドンへの屈折した感情が見受けられる?絢爛たるバロック、華麗なロココで存在感を示したフランスの、新興勢力たる、アカデミズムに裏打ちされたドイツ―オーストリアの古典派への対抗意識が滲むような... もちろん、それは穿った見方かもしれないけれど... 立派なオラトリオを、立派に演奏しない。そんな風に聴こえてしまう、フランス・バロックのエキスパートたちによる『天地創造』。一方で、ソリストたちもどこか能天気?世界の創造という一大事業にしては朗らかで... いや、勿体ぶった感覚が無く、ナチュラルで、活き活きとしていて、『天地創造』というよりは、もうひとつのオラトリオ『四季』(農村の風景を描く... )を思い起こさせるような、そんな雰囲気。そして、レザール・フロリサンのコーラス部隊の、フランス語訛りのドイツ語が、何だか英語に聴こえてきて、言葉の響きに角が取れ、これが絶妙なエッセンスに?なんて言ってしまったら怒られる?
とはいうものの、さすがはレザール・フロリサン!という間違いの無いクウォリティ。そういうクウォリティがあってこそ可能な脱力系『天地創造』。仰々しいはずのオラトリオが、素敵に聴こえてしまう、おもしろさ。軽やか(まるでラモーのように... )で、やわらか(古典派というよりはロココ?)で、飄々と世界の創造の七日間を描き出してしまう。いや、これも新たな創造なのかも。

HAYDN: DIE SCHÖPFUNG
LES ARTS FLORISSANTS . WILLIAM CHRISTIE


ハイドン : オラトリオ 『天地創造』 Hob.XXI:2

エヴァ : ゾフィー・カルトホイザー(ソプラノ)
アダム : マルクス・ウェルバ(バリトン)
ガブリエル : ゲニア・キューマイアー(ソプラノ)
ウリエル : トビー・スペンス(テノール)
ラファエル : ディートリヒ・ヘンシェル(バス・バリトン)
ウィリアム・クリスティ/レザール・フロリサン

Virgin CLASSICS/3 95235 2




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