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ユニヴァーサルなバッハ。 [2011]

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さて、世界経済に、未来はあるのか?
そんな場面が続くわけであります。で、そんなニュースを見ていると、「2012年」が現実味を帯びて来るようで、興味深いというか、何というか。ま、そんなことを考えても埒は明かず... もはや、来るなら来い!ぐらいのスタンスでないと、21世紀は生きていけないのやも。いや、そんな世界に誰がした!アンゴルモアの大王でも、マヤの人々でも無い。新自由主義という、やりたい放題のツケ... 資本家たちが、資本主義を殺そうとしている皮肉。オカルトでも何でもない、欲望のメタボリック・シンドロームこそが、今や恐怖の大王であり、「2012年」を引き寄せるか...
そんな現実からちょっと逃避するために、音楽... で、バッハでリセット!
今日、明日に囚われて、先が見えなくなったならば、バッハのユニヴァーサルな音楽に触れて、視野を広げる?もっと見えてくるものがある?そんな気がして。そして、アレクサンドル・タローがピアノで弾く、バッハのチェンバロ協奏曲集(Virgin CLASSICS/070913 2)を聴く。

クラシックにおけるバッハの存在は、間違いなく大きい。反面、その位置付けは、一筋縄ではいかない。18世紀の音楽シーンを俯瞰すると、バッハの音楽というのは、バロックにあって、メイン・ストリームからは外れ、極めてローカル。さらに、その音楽は、ひと昔前のルネサンスの集大成のようであり、バロック期に人気を集めた他の作曲家たちと並べると、古臭さすらある。だから、バッハで「バロック」を語ってしまうと、妙なことになりかねない。が、それが通ってしまうのが現状で。そうした視点から見つめるバッハという存在は、まるでブラックホール。無数に散らばる星々の輝きを、そのとてつもない質量で以ってほとんど吸収し、さんざめく「バロック」の全体像を、見え難くしてしまっている。そのあたりが、どうしようもなくもどかしい。が、それだけの質量があることは間違いなく、他の作曲家ではあり得ない密度を誇るのがバッハであり。18世紀、バロックといった、狭い括りで聴かなければ、恐ろしく超越した存在として際立ってしまう不思議... なればこそ、楽器を選ばないバッハ...
タローの弾く、チェンバロ協奏曲。モダンのピアノによるバッハの、その艶っぽさにゾクっと来てしまう。
18世紀の音楽は、やっぱりピリオドで聴きたい... というスタンスに揺らぎはないのだけれど、バッハとなるとまた違って来て... 作品にもよるけれど、モダンの楽器を用いることで、バッハを取り巻いた時代感覚から自由になれた瞬間、その音楽はより多彩な表情を見せ始めるのか。刺激的な、タローによるバッハ。そして、ベルナール・ラバディ率いるレ・ヴィオロン・デュ・ロワのサウンドが、また絶妙で... ピリオドを意識しつつ、ストイックにオリジナル主義を追求するのとは違う... かと言ってひと昔前のロマンティックなバッハになどにはなり得ない、ある種、あらゆるモード、スタイルから距離を取る独自サウンド... これが、タローの独特の哲学に見事にはまって、バッハのユニヴァーサルさをより際立たせる。バッハは間違いなく18世紀に活躍した、バロックの作曲家ではあるが、タロー、ラバディ+レ・ヴィオロン・デュ・ロワの演奏に触れていると、いつの時代の音楽を聴いているのかがわからなくなる。いや、まさに、それこそがバッハのユニヴァーサルなあたりか。
チェンバロではあり得ない、ピアノだからこその表情の幅と、揺るぎない存在感が際立つ、タローのタッチ。かと言ってピアノの機能性で押して来るようなことはせず、真摯にバッハと向き合い。一音、一音を丁寧に磨き上げ、綺麗に並べて、モダンでも、ピリオドでもなく、そういう形を脱したバッハを繰り広げる。そうして得られるバッハの瑞々しさ... 軽やかに回る指が奏でるバッハは、匂い立つようで、バッハの厳めしい姿はどこかへ消え去ってしまう。いや、その如何にもバッハな、細かなパッセージを、タローの指が捉えると、スタイリッシュで、現代的で。1曲目、1番のチェンバロ協奏曲(track.1-3)から、ただならず印象的。その短調ならではのトーンが、いい具合に冷えていて、そこからドラマティックに響かせるあたり、ピリオドでは表現し得ない、魅力が滴るような感覚がたまらない。それは、1番に限らずであり。特に、マルチェッロの有名なメロディをバッハがコピーしたアダージョ(track.7)は、そのメロディをしっとりと響かせて、アルバムにいいアクセントを加えている。
そして、興味深いのが、アルバムの最後、4台のチェンバロのための協奏曲(track.14-16)。4台というハードルを、多重録音という禁手で飛び越えてしまうタロー。4台分を独りで弾き切ってしまう姿が、何とも飄々としていて... 何より、「独り」であるからこその、4台のシンクロ感がもの凄く... まるで1台で弾いているような、そんな印象も。しかし、その音は間違いなく4台分あって... コンピューター制御の特殊なピアノでも弾いているような、奇妙なデシタル感があり。また、そういうデシタル感が初めて詳らかにする、この特殊なコンチェルトの繊細な表情を解き明かしもし、まったくおもしろい。

J.S. BACH ALEXANDRE THARAUD keyboard Concertos

J.S.バッハ : チェンバロ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV 1052
J.S.バッハ : チェンバロ協奏曲 第3番 ニ長調 BWV 1054
J.S.バッハ : 協奏曲 ニ短調 BWV 974 から アダージョ 〔改作 : タロー、ラバディ〕
J.S.バッハ : チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV 1056
J.S.バッハ : チェンバロ協奏曲 第7番 ト短調 BWV 1058
J.S.バッハ : 4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV 1065 〔多重録音〕

アレクサンドル・タロー(ピアノ)
ベルナール・ラバディ/レ・ヴィオロン・デュ・ロワ

Virgin CLASSICS/070913 2




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