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おもちゃ箱から、交響曲へ、 [2011]

NHKのETVにて、『schola 坂本龍一 音楽の学校』の第2シーズン、楽しみに見ております。
が、古典派が終わって、いきなり印象主義?と、ちょっと突飛な気もした前回。だったけれど、ベートーヴェンの後(いわゆる、ザッツ・クラシック!なレパートリー)をグタグダやっているより、ドビュッシーへ飛んでしまった方が、音楽史としては分かり易いのかも。ロマン派は、古典派のヴァリエーションに過ぎない... という坂本教授の考え方(音楽史は150年単位で動いている... ルネサンスが1600年まで、バロックが、バッハの死の年、1750年まで、古典派とそのヴァリエーションたるロマン派が、1900年まで... というやつ... )に、妙に納得させられる。そして、ガムランの視点から見つめるドビュッシーの新鮮なこと!いや、万博が音楽史をさらに展開させたという史実に、感慨。結局、音楽に限らず文化というものは、異なる文化との接触で進化が促されるのだなと...
ということで、ドビュッシー。ジュン・メルクル率いる、リヨン国立管弦楽団によるNAXOSからのドビュッシーのシリーズ、vol.5(NAXOS/8.572568)と、vol.6(NAXOS/8.572583)を聴く。


vol.5、『おもちゃ箱』から...

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振り返ってみると、ドビュッシーのオーケストラ作品は、意外と少ない... そうした中で、メルクル+リヨン国立管によるドビュッシーのシリーズは、すでに、ドビュッシーによるオーケストラ作品を取り上げ切ってしまっている。しかし、それでも続くシリーズ... カプレがオーケストレーションを完成させたバレエ『おもちゃ箱』をメインに、ドビュッシーのピアノ作品からのオーケストラ・アレンジを集めたvol.5。ドビュッシーでありながら、ドビュッシーの手を離れつつあるサウンドの微妙なあたりが、かえっておもしろいのかも。
その1曲目、カプレによる『おもちゃ箱』(track.1-7)... けして、珍しい作品ではないと思うのだけれど、実際に聴くとなると、その機会は少ない?ということで、初めて聴いた。いや、これを聴きたいがために手に取ったvol.5。ドビュッシーが、愛娘、クロード・エンマのために作曲した、ドビュッシーの愛情溢れる1曲。エレによる絵本が基になっているだけあって、絵本のページをめくるような、まったく愛らしい音楽が綴られる。けれど、ドビュッシーとしては、何か物足りないような... それが、こどものためのバレエだからか?カプレによるオーケストレーションによるものなのか?それでも魅力的に聴こえるのは、メルクル+リヨン国立管の、クラシックにおける「フランス」の象徴的な存在、ドビュッシーの音楽に対する独特の距離感があるからか。
結局、vol.1から、飽きずに聴いているわけだけれど。つい手に取ってしまうのは、どこかでドビュッシーらしさが希薄な彼らの演奏... そうすることで見えてくる、ドビュッシーのクールさ。というのか。エスプリだ、何だと、曖昧な理由付けで濁すことなく、清廉なサウンドで、その雲のように漂う音楽をしっかり捉えてくれるあたりに、心地良さを感じて。しかし、そこに編曲者たちのセンスが作用して、また違う音楽が立ち現れる。きちっと整理して聴き易く仕上げられたカプレ、ドビュッシーのニュアンスを活かすアンセルメ... ありのままを響かせるメルクル+リヨン国立管の演奏が、変容したドビュッシーの姿を、少し滑稽なものとして見せるようでもあり、
vol.6へと、続く...

DEBUSSY: Orchestral Works ・ 5

ドビュッシー : バレエ 『おもちゃ箱』 〔カプレによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : 『6つの古代墓碑銘』 〔アンセルメによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : パゴダ 〔カプレによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : グラナダの夕べ 〔ビュッセルによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : 喜びの島 〔モリナーリによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : バッカスの勝利 〔ガイヤールによるオーケストラ版〕

ジュン・メルクル/リヨン国立管弦楽団

NAXOS/8.572568




vol.6、交響曲へ...

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始まりの、ベルガマスク組曲(track.1-4)が、何というか...
月の光(track.3)は、vol.2ですでに聴いてはいるけれど、vol.6で、ベルガマスク組曲として全4曲が揃えられて、そこから発せられる雰囲気が、何ともライト・クラシック。いや、ライト・クラシックが悪いわけではないのだけれど... 聴き知ったピアノの名曲が、作曲者の手を離れ、オーケストレーションが施されると、やっぱり、オリジナルのイメージが強い分、何とももどかしい思いにさせられてしまう。けして、作品がつまらないというわけではないけれど、見事に、ライト・クラシックに仕立て直されたそのサウンドに、中てられてしまう。ワーグナーにも傾倒し、ガムランにも刺激されて、近代音楽を切り拓いて行ったドビュッシーが、ライト・クラシック?でいいのか... と、モヤモヤした後での、交響組曲『春』(track.9, 10)の聴き応えが、たまらない!
この作品も、ドビュッシーによるオーケストレーションではない(ドビュッシーによるオリジナルは焼失... )が、ドビュッシーの指示の下、ビュッセルにより改めてオーケストレーションされただけに、近代音楽としてのビターな魅力がしっかりと込められている(もしかすると、オリジナルよりも?)。それは、ライト・クラシックの甘い前奏があったからこそ、余計に引き立てられて。続く、イギリスの現代の作曲家、ロビン・ホロウェイ(b.1943)のオーケストレーションで聴く、「白と黒で」(track.11-13)が、また絶妙で... ピアノ・デュオのオリジナルを、オーケストラの多彩なパレットをきっちり用いて、鮮やかにアグレッシヴに展開する!また、メルクル+リヨン国立管の演奏が冴え、作品のイメージは大いに膨らみ、驚かされてしまう。
そして、vol.6で、一番、楽しみだった、交響曲(track.14-16)。印象主義の大家が、「交響曲」なんていう古風なタイトルを付けてしまうあたりが、実に興味深いわけだが、ドビュッシーも、「交響曲」なんていうタイトルを付けたがる年頃(10代最後の頃)があったわけでして... そんなドビュッシー青年の初々しくロマンティックなあたりを、絶妙に形にしたトニー・フィーノ(サントラの作曲やアレンジャーとして活躍... )の仕事ぶりが見事。印象主義前夜の、フランスの楽壇の気分を丁寧にオーケストラに乗せて、交響楽団を自作で鳴らす青年の夢が、形になる晴れがましさを、何とも甘酸っぱく響かせる。そんな交響曲は、ラヴリー。他のオーケストラ・アレンジには無い、ある時期のドビュッシーのリアルにフォーカスできた感覚が、まったくおもしろい。このあたり、フィーノの職業作曲家ならではの器用さが活きているのか。

DEBUSSY: Orchestral Works ・ 6

ドビュッシー : ベルガマスク組曲 から 前奏曲 〔クロエによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : ベルガマスク組曲 から メヌエット 〔クロエによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : ベルガマスク組曲 から 月の光 〔カプレによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : ベルガマスク組曲 から パスピエ 〔クロエによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : 小組曲 〔ビュッセルによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : 交響組曲 『春』 〔ビュッセルによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : 白と黒で 〔ホロウェイによるオーケストラ版〕
ドビュッシー : 交響曲 ロ短調 〔フィーノによるオーケストラ版〕

ジュン・メルクル/リヨン国立管弦楽団

NAXOS/8.572583




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