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トリップ・オン・シンフォニー! [2007]

「交響曲」、それは、クラシックにおける至高の形...
なんて、気取ったことはいくらでも言えるのだけれど。交響曲というのは、クラシックのアカデミックさ(言うなれば、気難しさ?)を象徴しながら、実は、そういう勿体ぶった体裁の内に、麻薬的な魅力を孕んでいるように感じる。オーケストラという贅沢な機能をフルに使い、文字通りシンフォニックに音楽を鳴り響かせて... そのサウンドに包まれて得られる感動は、何気にエクスタシー?クラシックの密かな悦楽のようにも感じる。
で、早速、ストレスの多い21世紀、「交響曲」で、諸々の鬱陶しさから解放される!と、引っ張り出して来た2007年のリリース、2タイトル... パーヴォ・ヤルヴィ率いる、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンによるベートーヴェンの4番と7番の交響曲(RCA RED SEAL/88697129332)と、シモーネ・ヤング率いる、フィルハーモニカー・ハンブルクによるブルックナーの3番の交響曲(OEHMS CLASSICS/OC 624)を聴き直す。ベートーヴェンとブルックナーの「交響曲」で、しばしトリップ。


ドイツ・カンマーフィルのデジタル・ベートーヴェン!

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一昨年に完結した、パーヴォ+ドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェンのツィクルス、その第2弾... 9つの交響曲の中でも、特に調子のいい4番と7番を取り上げる1枚を聴き直す。のだけれど、いつ聴いてもおもしろいパーヴォのベートーヴェン!この第2弾は、モダンとピリオドのハイブリットによるドイツ・カンマーフィルで試みるパーヴォならではの指向がよく活きて、特に7番(track.5-8)には、驚かされることに。
ワーグナーが「舞踏の聖化」と呼んだ7番。その終楽章などは、聖化というより、デモーニッシュなくらいにテンションが高く、踊りまくる... まるで、19世紀初頭のトランス?とでも言いたくなるような... で、そのテンションの高さこそ人気の理由。のはずが、どうも、このテンションに、ちょっと中てられるようなところがありまして。しかし、パーヴォによる7番は、まったく不思議。妙に力が抜けて、抜け切ったところから、改めてベートーヴェンを構築するという、マジック(それこそが、パーヴォ+ドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェン!)をやってのける。
もはや、ピリオド・アプローチ、ベーレンライター版などでは驚きようがない。オリジナル主義が主流となり、モダンとピリオドのハイブリットも珍しくない。そういう状況を意識しつつ、流されない独自のベートーヴェン像を創り上げたパーヴォ+ドイツ・カンマーフィル。改めて7番を聴き、見出すのは、デシタルな感覚か?
パーヴォの音楽性が際立っているようで、実は、高度にモダンとピリオドのハイブリットを実現させたハイ・スペックなオーケストラによる、淡々とスコアを追った結果がそこにあるような気がしてくる。モダンでもなく、完全なピリオドでもないという中途半端な立ち位置が、随分と自由化されたベートーヴェン解釈のあらゆる可能性を逆に排除し、ある種、無機質にスコアを見つめる... しかし、つまらなくはならない。というより、デシタルに捉えてこそ、作品の子細がクリアにされ、それらが積み重ねられたおもしろさが浮かび上がり。ベートーヴェンが作り込んだ音楽のウィットが、これまでとは違う感覚として発せられ、独特のインパクトを残す。それは7番に限らず、4番(track.1-4)でも... 「英雄」と「運命」に挟まれて、地味な印象すら持たれかねない4番が、活き活きとその個性を明らかにされてゆく姿は、気持ち良く、痛快ですらある。
それにしても、ドイツ・カンマーフィルは巧い... その巧さを、そのままに繰り広げたパーヴォの音楽性というのも、やっぱり凄いのだと思う... そうして響く、デジタル・ベートーヴェンのクールさときたら!気分を高揚させつつも、頭をスッキリさせてくれる。

The Deutsche Kammerphilharmonie Bremen paavo järvi beethoven 4&7

ベートーヴェン : 交響曲 第4番 変ロ長調 Op.60
ベートーヴェン : 交響曲 第7番 イ長調 Op.92

パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

RCA RED SEAL/88697129332




ヤング/ブルックナーの世界に攫われる...

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ヤング+ハンブルク・フィルによるブルックナーのツィクルス、その第2弾、3番の交響曲を聴き直す。のだけれど... 実は、その翌年にリリースされた第3弾、4番、「ロマンティック」(OEHMS CLASSICS/OC 629)を聴き、そのただならなさに驚かされ、1枚戻っての3番となった。ま、ミーハーというか、じわりじわり評判を呼ぶツィクルスの引力につい引き寄せられてしまって、手に取ったのだけれど、ブルックナーの交響曲でも特に好きな番号ということもあり、大いに期待して... いたのだが... ん?何か違う。と、そのまましまい込んでしまい...
3番というと、氷河を纏ったアルプスの岩山の頂に挑むような、あまりに清冽な峻厳さと、その峻厳さが執拗に迫って来て、ひとりの人間としては受け止めかねるようなスケール感にちょっと中てられつつ... 終楽章、最後のコーダでの解放を、この上ない悦びとして、カタルシスの中、聴き終える... そんなイメージがある。のだけれど、ヤングが創り出す音楽というのは、当然、既存のイメージからは逸脱してゆく。逸脱して出現する、それまでにない底知れなさに驚かされ、その底知れなさに呑み込まれることこそ醍醐味。ということをわかっていながら、好きな番号ということが、どこかで、それまでのイメージが狂ってしまうことに抵抗を感じていたのかもしれない。しかし、「時」というのは、そういうつまらない壁をもろくも崩してしまう。改めて聴いてみれば、ヤングの指向をより感じ、そうして新たに見出す3番の魅力に、鮮烈な思いで向き合うことに。
ヤングが生み出すブルックナーというのは、求道的なブルックナーの音楽に、呪術性すら孕む母性の恐るべきパワーを吹き込むようで、一種異様な姿を見せる。あの清冽な峻厳さは、どこかどんよりと曇り、視界は不良... かもしれないが、視覚を奪われて頭をもたげる壮大なイマジネーションは、やがてただならないスケール感を見せ始める。すると、「ワーグナー」というサブタイトルが息衝いて来る!これまで以上にあらゆる場面がワーグナーの楽劇と重なり、あの神話性がとぐろを巻く恐るべき世界が、3番の交響曲に憑依したかのよう。こうなると、ハンブルク・フィルのオペラハウス(ハンブルク州立歌劇場)のオーケストラならではの感性が、滅法、活きる。まるで太古の時代の年代記を読み解くような、そんなサウンドを放ち、また一味違う、ブルックナーの世界へと攫われてしまう。このトリップ感たるや!

Anton Bruckner: Symphony No.3
Simone Young ・ Philharmoniker Hamburg


ブルックナー : 交響曲 第3番 ニ短調 「ワーグナー」 〔初稿〕

シモーネ・ヤング/フィルハーモニカー・ハンブルク

OEHMS CLASSICS/OC 624




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