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北欧の異才、ダウスゴーを聴き直す。 [2007]

とにかく、キンモ・ポホヨネンは、衝撃的だった... これもまた北欧なのか?と、自分の中の北欧のイメージが大きくグラついたのだけれど。いや、「北欧」というのは、安易なイメージでは括れない、振れ幅の大きい独特な世界。ABBAにIKEAに、ムーミンにムンク... さらに、独特なセンスが育まれる土壌でもあって。北欧のお馴染みのものを改めて見つめてみると、とても興味深く感じることがある。北極圏に掛かり、白夜があり、閉ざされた長い冬がある... そういう厳しい環境が育むセンスというのは、独特になって当然なのかもしれない。
ということで、デンマーク出身のマエストロ、トマス・ダウスゴーをトリビュート。やはり独特なセンスを持つマエストロ、2007年にリリースされた3つのアルバムを聴き直す。デンマーク国立交響楽団との、ベルリオーズの『レリオ』(CHANDOS/CHAN 10416)に、スウェーデン室内管弦楽団との、ベートーヴェンのツィクルスから、8番の交響曲を収録したvol.9(SIMAX/PSC 1282)と、"Opening Doors"のシリーズから、ドヴォルザークの「新世界」(BIS/BIS SACD 1566)を...


ダウスゴーが抽出する、『レリオ』の繊細さ...

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幻想交響曲の続編、抒情的モノドラマ『レリオ』。録音が無いわけではないけれど、やっぱり珍しい作品。珍しいというよりは、目立たない作品。そもそも、幻想交響曲に「続編」があったのか?!なんて声も聞こえてきそうだし... あれだけの人気作の続編にしては、パっとしない。いや、幻想交響曲、終楽章、あのワルプルギスの夜の、異様な盛り上がりの後なのだから、さらに凄まじい展開が待っているのでは?などと、うっかり期待してしまうと、肩透かしを喰らってしまう。幻想交響曲の大胆さに比べれば、とても繊細で、繊細過ぎて、盛り上がりに欠け、掴みどころのない作品のようにも感じる... あるいは、下手に幻想交響曲の続編なんて言ってしまうから、当の幻想交響曲と比べてしまうわけで、そのせいで作品の存在感を弱めることにもなっているのかも。
ダウスゴー+デンマーク国立響の演奏は、そういう『レリオ』のありのままを丁寧に響かせる。語りに添えられた音楽... 控え目な劇音楽とも言えそうな『レリオ』の、背景画のような存在感を淡く描き出す。そして、その音楽だけに着目すれば、不思議な散文のようで、幻想交響曲のモチーフがぼんやり現れたりすれば、幻想交響曲より幻想的なのかもしれない。作曲家の私小説的な作品の、ある種の自由さをそのままに、文学に、シェイクスピアに傾倒する作曲家のナイーヴさに素直に付き合い、『レリオ』そのものを、改めて見つめ直す機会を与えてくれたように感じる。また、改めて聴くと、ダウスゴー+デンマーク国立響の丁寧な演奏が印象に残る。ダウスゴーならではの独特なセンスは控え気味... そのあたり、初めは少しガッカリもさせられたが、『レリオ』の自由過ぎるあたり(本当に、この作品は何なのだろう?抒情的モノドラマとは言っているが... )のやりにくさを見事にカヴァーし、その繊細な魅力をきちっと抽出してくるあたりは、ダウスゴーの希有な音楽性があってこそなのだろう。

BERLIOZ: LÉLIO ETC. - Solists/DNC/DNSO/Dausgaard

ベルリオーズ : 序曲 「ローマの謝肉祭」 Op.9
ベルリオーズ : エレーヌ Op.2-2
ベルリオーズ : 抒情的モノドラマ 『レリオ、あるいは生への回帰』 Op.14b

ジャン=フィリップ・ラフォン(バリトン)
スーネ・ヒェリルド(テノール)
ゲルト=ヘニング・イェンセン(テノール)
トマス・ダウスゴー/デンマーク国立交響楽団(DR放送交響楽団)、同合唱団

CHANDOS/CHAN 10416




ダウスゴーのエッジが極まる... ベートーヴェン...

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デンマークを代表するオーケストラ、デンマーク国立交響楽団(デンマーク本国では、DR放送交響楽団という名称で、ややこしいのだけれど... )を率いるダウスゴー。このマエストロのセンスをより際立たせるのが、もうひとつのダウスゴーのオーケストラ、スウェーデン室内管弦楽団。モダンとピリオドのハイブリッドによるそのサウンドは、常に斬新!で、そのサウンドをブレイクさせたのが、ベートーヴェンのツィクルス。交響曲だけでなく、ベートーヴェンの管弦楽作品を広く網羅するこのツィクルスは、2009年に第九(SIMAX/PSC 1283)がリリースされ、交響曲に関しては完結。で、その前作となるのがvol.9、8番の交響曲。
まさしく、ダウスゴー+スウェーデン室内管ならではのサウンド!ノン・ヴィヴラートのエッジの効いた響きは、クラシックの豊潤さからは程遠いものの、クラシックの持つある種のユルさは皆無、そのスキニーさが刺激的。以前は、そうしたあたりを極め過ぎるかな?とも思ったが、改めて聴いてみると、それほど気にはならないか?というより、聴く側の耳が、ベートーヴェンにおける「斬新」にすっかり慣れてしまったということなのか?印象の違いが興味深かったり。そして、スキニーを極めて、マックスのパワーで挑む8番の交響曲がおもしろい。どちらかと言えば、モーツァルトの時代へと回帰する、他のベートーヴェンの交響曲になく優雅さを漂わせる8番だが、ダウスゴー+スウェーデン室内管の鋭さから斬り込めば、7番のようにリズムが際立って、よりアグレッシヴな仕上がり。優雅な8番も素敵だが、このスカっとさせてくれる感覚は、快感。
それから、いつもながらの珍しい管弦楽曲のカップリングも魅力で... トルコ行進曲(track.9)や、ウェリントンの勝利(track.14-17)など、普段のベートーヴェンの厳めしさとは別の場所にある作品が特に微笑ましく。それをダウスゴー+スウェーデン室内管ならではのキレの良さで、手抜きなしで仕上げると、本当におもしろい。

SWEDISH CHAMBER ORCHESTRA ÖREBRO THOMAS DAUSGAARD
SYMPHONY NO. 8 KÖNIG STEPHEN RUINS OF ATHENS BEETHOVEN: COMPLETE ORCHESTRAL MUSIC - VOL. 9


ベートーヴェン : 交響曲 第8番 ヘ長調 Op.93
ベートーヴェン : 劇音楽 『シュテファン王』 Op.117 序曲
ベートーヴェン : 劇音楽 『シュテファン王』 Op.117 勝利の行進曲
ベートーヴェン : 劇音楽 『シュテファン王』 Op.117 宗教的行進曲
ベートーヴェン : 劇音楽 『アテネの廃墟』 Op.113 序曲
ベートーヴェン : 劇音楽 『アテネの廃墟』 Op.113 トルコ行進曲
ベートーヴェン : オペラ 『フィデリオ』 序曲 Op.72b
ベートーヴェン : 『タルペイア』 のための 第2幕への導入の音楽 WoO.2a
ベートーヴェン : 『タルペイア』 のための 凱旋行進曲 WoO.2b
ベートーヴェン : 序曲 「命名祝日」 Op.115
ベートーヴェン : ウェリントンの勝利 Op.91

トマス・ダウスゴー/スウェーデン室内管弦楽団

SIMAX/PSC 1282




ダウスゴーが扉を拓く... ドヴォルザーク...

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ダウスゴー+スウェーデン室内管で忘れてならないのが、"Opening Doors"のシリーズ。お馴染みのロマン派の交響曲を、彼らならではのサウンド、ダウスゴーならではの独特のセンスで捉え直すシリーズ。最新盤はブルックナーの2番の交響曲(BIS/BIS SACD 1829)だが、シリーズ中、最も印象に残るのはドヴォルザークの「新世界」であったように思う(シリーズそのものが、極めて印象的なのだけれど... )。定番中の定番... これほど聴かされる作品も他にないだろうというくらいの人気作... 正直、飽きてしまった。とも言えそうな「新世界」だが、ダウスゴー+スウェーデン室内管の演奏で耳にした時の衝撃というのは、もの凄いものがあった。
メローで、キャッチーで、まさにロマン主義の真っただ中にあるはずのドヴォルザークの音楽から、一端、ロマンティックなものを全て洗い流して、その音楽の構造をストイックに見つめ直し、その構造が放つだけのロマンティシズムで全体を彩る。ダウスゴー+スウェーデン室内管のオリジナル主義的なスタンスが浮かび上がらせるドヴォルザークは、ベートーヴェンのようにスタイリッシュで、ブルックナーのように鮮烈で、国民楽派の持つある種のチープ感を断ち切って、純音楽的な魅力を見せつけて来るよう。それは、まったく予想していなかった新鮮な体験で、衝撃的だった。そうして、改めて感じる、「新世界」という交響曲のおもしろさ!人気作というのは、それを裏付けるだけの本当のすばらしさがある... ということを再確認し、さらには、これまで知り得なかったようなドヴォルザークの先進性を見出すようなところもあり、「新世界」という作品そのものに思い知らされる。いや、そういうドヴォルザーク像を描き出したダウスゴー+スウェーデン室内管のただならぬ音楽性に圧倒される。
モダンとピリオドのハイブリッドによる新奇さではなく、変にタイトになるでもなく、それどころか、「室内」という規模を忘れさせるヴォリューム感があって、演奏尽くされた人気作を、斬新なものとして生まれ変わらせるマジック... "Opening Doors"のシリーズ切っての名演であり、まさに今、新たな扉が拓かれた、そういうインパクトを感じる1枚。改めて聴いても、そのインパクトは薄れることなく、より感動的ですらある。
それにしても、「新世界」、なんとカッコいい交響曲なのだろう!

Dvořák ・ Symphonies Nos 6 & 9 ・ Swedish CO / DAUSGAARD

ドヴォルザーク : 交響曲 第6番 ニ長調 Op.60
ドヴォルザーク : 交響曲 第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」

トマス・ダウスゴー/スウェーデン室内管弦楽団

BIS/BIS SACD 1566

ダウスゴーが指揮すると、オーケストラは独特なサウンドを紡ぎ出す。それは、北欧を思わせるクリアな響きではあるのだけれど、一方で、濃密というか、オーケストラのメンバー、ひとりひとりの「個」が消失して、ひとつの有機体のような姿を見せ始める。他の指揮者では味わえない感覚、混然一体となったしなやかさ、ただならない生々しさ。それは、時に、不気味さすら放つことも... ダウスゴーのカリスマ性?あるいは、指揮棒でオーケストラのメンバーを集団催眠に掛ける?というより、魔法?
そもそも音楽というのは、スピリチュアルなものであったはず。例えば、激しいリズムの中、トランスに陥り、神々や、精霊たちと交信する。音楽にはただならないパワーがあり、ある種の魔法だったように思う。が、「音楽」という形を与えられて以降、そうした本来の資質は随分と失われてしまった(それでも、音楽で癒される... なんて感覚は、その名残なのかもしれない... )。が、ダウスゴーの指揮には、太古の音楽の呪術的な様が、薄っすら浮かび上がるような... 北欧の指揮者に共通する感覚ではけしてないけれど、ダウスゴーの中に、北欧の独特なセンスとして、そうしたものをぼんやりと感じる。リアルな中に非現実が紛れ込むベルイマンの映画や、心霊写真を集めていたムンクとどこかでつながっているセンスだろうか?北欧の不思議。




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