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戦争の、ソヴィエトの、プロコフィエフの真実。 [2008]

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前回、聴いた、シマノフスキの3番の交響曲、「夜の歌」は、第1次大戦の只中に作曲されているが、戦争の影など微塵も感じられない。というより、突き抜けて逃避的で、逆に、世界が初めて体験した近代戦争の惨禍の大きさを思い知らされるのか... 20世紀の音楽史において、「戦争」は切り離せない。犠牲者を悼むもの、平和を希求するもの、プロパガンダとして利用するもの、近代戦争の破壊力に魅了される者もいたし、実際に戦争の厳しい状況下で生み出されたものあった。20世紀、音楽からの戦争の捉え方は一様ではない点がとても興味深い。いや、その多様さにこそ、20世紀の歴史の難しさが表れているような気がする。
そうした20世紀、戦争が生んだ作品... パーヴォ・ヤルヴィ率いる、シンシナティ交響楽団の演奏で、プロコフィエフの代表作のひとつ、5番の交響曲(TELARC/CD-80683)... 第二次大戦、ナチス・ドイツのソヴィエト侵攻を前にして、音楽で国民を鼓舞しようとした交響曲は、ソヴィエトのプロパガンダでもあって... そうした一筋縄でない背景を見つめながら、聴いてみる。

ドイツ・カンマーフィルでのベートーヴェン、hr響でのブルックナーと、これからが楽しみなツィクルスを展開中のパーヴォ... 一方で、シンシナティ響とは、近代音楽(ばかりではないのだけれど... )のア・ラ・カルトを繰り広げていて、これが、絶妙のチョイス!定番をしっかりと押さえつつ、「近代」をパーヴォ流に俯瞰して、どれも興味深く楽しませてくれて来た。そうして、2001年から積み上げられて来た、近代音楽に滅法強い、シンシナティ響の高機能性と、21世紀の現代から、かつての「近代」を見つめる、パーヴォの少し引いた目線が生み出すノスタルジックな気分。インダストリアルなイメージと結びつく「近代」に、また違う香を漂わせるパーヴォ+シンシナティ響のサウンドは、独特の境地に至って、希有な魅力を発し始めているのか... いや、より鋭い音楽を聴かせてくれる、彼らによる13作目、プロコフィエフを代表作から見つめる1枚には、衝撃を受けた。
パーヴォの音楽性が、しっかりと浸透したシンシナティ響によるプロコフィエフの5番の交響曲(track.1-4)は、パーヴォ独特の軽みが効いていて、この作品のこれまでのイメージを断ち切るような、まったく新しい触感を聴く者にもたらす。いや、戸惑う... プロコフィエフ、作品番号100番を記念する、重厚壮大なる交響曲、ナチス・ドイツを打ち負かすために繰り出される、"ロシア・アヴァンギャルド"の重戦車のような音楽のはずが、完膚なきまでに軽量化されてしまって、一体、どうなってしまったのだ?と、面喰ってしまう。が、そこにあるのは、間違いなくプロコフィエフの5番の交響曲... 徹底して無駄の無い、パーヴォの明晰なアプローチは、音楽の、より内面の世界へと潜り込み、そこに籠められた繊細なミクロコスモスを詳らかとし... 重戦車の分厚い装甲は、見事にスケルトンとなって、中身の構造が丸見えとなり、そんな中身を、『モダン・タイムス』のチャップリンのように、楽しんでしまうようなところもあって、ソヴィエトのプロパガンダをも含んだプロコフィエフの戦争交響曲は、妙にユーモラスに響き出す。そうしたあたりに、クスりとさせられると、途端に、まったく違う情景が浮かび上がるのか?
5番の交響曲の後で取り上げられるのが、『キージェ中尉』組曲(track.5-9)。帝政ロシアを舞台に、勘違いから生まれた実在しない将校、キージェ中尉を巡るドタバタを描く同名の映画(1934)のために、プロコフィエフが作曲した映画音楽からの組曲なのだけれど、この物語に盛り込まれた、ソヴィエトに蔓延る官僚主義への風刺を、プロコフィエフはどこまで理解していたのか?いや、その屈託の無い音楽を聴けば、理解できていなかったのだろう(だもんだから、うっかりソヴィエトに復帰したりして... )。しかし、プロコフィエフの天然が、かえって『キージェ中尉』の風刺を極めてしまうようで、その軽過ぎるほどに軽く楽しい音楽が、随分と尖がって聴こえて来るからおもしろい。で、パーヴォは、5番の交響曲と『キージェ中尉』組曲を、あまりにナチュラルに結んでしまう。対ナチスの愛国的作品と帝政ロシアにおけるドタバタ劇、対極を成す2つの音楽が、同じ次元に並べられて、飄々と奏でられる痛快!そうして露わになる、ソヴィエトの無責任な楽観主義... 表向き、楽観しながら、その裏で、恐怖で国民を支配した、白々しさ... プロコフィエフの無邪気さが際立たせる20世紀のリアルの衝撃。
ステレオタイプを断ち切って、一見、ギミックな音楽を展開しているようで、作曲家のあられもない姿を晒してしまうほど、明晰でピュアな状態を響かせるパーヴォ。それを、鮮やかにサウンドにし切るシンシナティ響の見事な演奏!プロコフィエフが盛り込んだ様々な要素を、ひとつ残らず丁寧に拾い集め、それらを「交響曲」というおもちゃ箱の中で犇めかせつつ、余裕綽々で組曲につなげ、確信的に薄っぺらい音楽像を構築する。そんな、彼らの怜悧な音楽性を感じ取ってしまうと、何だか背筋が寒くなる。全てがスッキリとし、かつ軽妙に鳴らし得るからこそ、克明となる戦争の、ソヴィエトの、プロコフィエフの真実。真実を突き付けられての驚きと、真実を抉り出す清冽さに慄き、思いもよらない形で圧倒される。

PROKOFIEV: LIEUTENANT KIJÉ SUITE / SYMPHONY No. 5
JÄRVI / CINCINNATI SYMPHONY ORCHESTRA


プロコフィエフ : 交響曲 第5番 変ロ長調 Op.100
プロコフィエフ : 『キージェ中尉』 組曲 Op.60

パーヴォ・ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団

TELRAC/CD-80683




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