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イタリアン・コンプレックス。 [before 2005]

音楽史において、アルプスというのは、実に興味深い境界線となる。
現在、我々は、音楽用語にイタリア語を多用する。が、クラシックの中心はドイツ語文化圏が生み出したレパートリーだったりする。北と南の文化的力関係の歴史が作り出したおもしろい状況だ。アルプスを境に、様々な思いが、その時代、その時代に、北上したり、南下したり... またそうした動きこそが、音楽史を前進させるエンジンにもなって来た。いや、アルプスとは、音楽史において、実は大きな役割を担っていたのやも?そこにアルプスがあったからこそ、クラシックは、北から南から、いい具合に捏ねられて、大きく成長して来たとも言える。もちろん、イタリアとドイツだけで、クラシックが存在しているわけではないけれど... アルプスから眺める風景は、おもしろい。
さて、アルプスの南が優勢だった頃、バロックのアルバムを2枚。リナルド・アレッサンドリーニ率いるイタリアのピリオド・アンサンブル、コンチェルト・イタリアーノによる、イタリアのコンチェルト/イタリア風コンチェルトを綴る"concerti italiani"(OPUS 111/OP 30301)。それから、トーマス・ヘンゲルブロック率いるドイツのピリオド・アンサンブル、バルタザール・ノイマン・アンサンブルによる、中部ドイツ・ベースのローカルな巨匠、バッハと、ヴェネツィアが誇るインターナショナルな巨匠、ロッティの教会音楽を並べる興味深いアルバム(deutsche harmonia mundi/05472 77534 2)を聴いてみる。


イタリアのコンチェルト/イタリア風コンチェルト... コンチェルト・イタリアーノによる。

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「バロック」という言葉... クラシックを聴き始めた頃は、実にシンプルだった。そんな、懐かしさが漂うラインナップ?コンチェルト・イタリアーノによる、"concerti italiani"。前世紀末、ビッグ・バンとも言えるピリオドの爆発的ルネサンス(極東のとある島国の状況はさて置き... )により、「バロック」は、とてつもないスピードで膨張。イ・ムジチあたりが丁寧に紹介していた、かつての人気レパートリーに触れる機会はめっきり減ってしまった。というより、そうしたレパートリーを探すことすら難しく、バロックは今や大迷宮。とはいえ、大迷宮に迷い込み、あっちへこっちへと彷徨って得られる様々な驚きや楽しみは、以前の比では無い。で、そんな大迷宮で見つけた、かつての「バロック」が、アレッサンドリーニ+コンチェルト・イタリアーノによる"concerti italiani"。
「ヴェニスの愛」というタイトルでシングル・カット?なんてことは無かったか... かつての定番、マルチェッロのオーボエ協奏曲(track.8-10)や、ヴィヴァルディのフルート協奏曲「夜」(track.10-20)といった懐かしい作品を収録。今風の、バロック=ロックなノリの良さに加え、コンチェルト・イタリアーノならではの、ゾクっとくる艶っぽさも効かせて、かつての名旋律も、たっぷりジューシーに楽しませてくれる。それにしても、懐かしさを通り越して、新鮮に、鮮烈に聴かせてくれるコンチェルト・イタリアーノの演奏。彼らの豊かな音楽性には、いつもながら感心させられる。そして、ノリのいいあたりよりも、緩徐楽章のメランコリックな色合いに、あまりに鮮烈な表情を盛り込んで。名旋律に、まったく新しい発見をもたらすのか。以前は、安っぽさすら感じていた部分が、コンチェルト・イタリアーノの手に掛かれば、まったく魅力的であり... いや、これもまたバロック・ロックなセンスなのかも?
そうした中で、このアルバムの目玉となるのが、バッハの名曲、イタリア協奏曲のヴァイオリン・コンチェルト版(track.11-13)。何かと、イタリアに、コンプレックスを抱えていたバッハであったわけだが... 何しろ、ヴィヴァルディのコンチェルトを丸々コピーしていたりするわけだが(このアルバムの2曲目、5曲目も、オルガン独奏、チェンバロ独奏の協奏曲に編曲している... )、そうしたあたりから、このイタリア協奏曲にも、原曲のコンチェルトが存在していたら?いたかも?ということでの、創造的復元作業。鍵盤楽器の名曲、イタリア協奏曲は、そのものすでに、オリジナルとして、しっかり存在しているわけで、どうなのだろうか?と思いきや、意外にアリなのかも... いや、驚くほどしっくり来る。いや、うっかりすると、バッハのコンチェルト、新発見?!なんて思えてしまうほど、自然。やっぱり、基となるコンチェルトが存在していたのだろうか?大いに気になるところ。
とはいえ、アルプスの壁は、やっぱり大きい。瑞々しく、時に大胆なイタリアのコンチェルトに対し、イタリア風コンチェルトの生真面目さ... イタリア協奏曲を復元するにあったて、バッハのサウンドを意識すればするほど、打ち破れない型が浮かび上がるようで、バッハのセンスの限界が見えてしまう?ヴィヴァルディら、イタリアの最新モードをコピーせずにいられなかったバッハのリアルが浮かび上がるから興味深い。で、アレッサンドリーニ+コンチェルト・イタリアーノのイタリア贔屓は、ちょっと意地悪かも...

BACH VIVALDI MARCELLO Concerto Italiano Rinaldo Alessandrini

ベネデット・マルチェッロ : 協奏曲 ホ短調
ヴィヴァルディ : 協奏曲 ニ短調 RV.565 〔協奏曲集 『調和の霊感』 Op.3 から〕
アレッサンドロ・マルチェッロ : オーボエ協奏曲 ニ短調
ヨハン・セバスティアン・バッハ : イタリア協奏曲 BWV.971 〔ヴァイオリン協奏曲 復元版〕
ヴィヴァルディ : 協奏曲 ト短調 RV.316a
ヴィヴァルディ : フルート協奏曲 ト短調 RV.439 「夜」

リナルド・アレッサンドリーニ/コンチェルト・イタリアーノ

OPUS 111/OP 30301




ヴェネツィアのインターナショナル性/中部ドイツのローカル性... ヘンゲルブロックによる。

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ロッティを初めて知ったのは、ヘンゲルブロック+バルタザール・ノイマン・アンサンブルによるレクィエム(deutsche harmonia mundi/05472 77507 2)。それまで、何となく自身の中にあった、「バロック」という言葉の持つ時代感を揺るがされた1枚... オーケストラ、コーラスのすばらしいパフォーマンスもあって、それは、衝撃的ですらあった。そんなロッティとの出会いをもたらしてくれたヘンゲルブロックが、バッハのマニフィカト(track.14-29)とともに、ロッティのミサ・サピエンティアエ(track.1-13)を取り上げたアルバム。クラシックを代表する作曲家、バッハ(1685-1750)と、かつてのヴェネツィアの巨匠、ロッティ(1667-1740)... バロック期、ほぼ同時期に活躍したこの2人を並べてしまうことが、実におもしろい!
ということで、まずは、ロッティのミサ・サピエンティアエ。とにかく、バロックの硬さ、重さを感じることのない、ふんわりと、やさしげに流れてゆく音楽は、ロッティならではの、時代を先取りした感覚に充ち溢れている!特に、キリエ(track.1-3)の荘重さから解き放たれてのグローリア・イン・エクセルシス(track.4)は、まるで春が来たような、明るく弾むサウンドが印象的で。さらに、オーボエとフルートに導かれてソプラノが歌う、ドミネ・デウス・レクス・チェレスティス(track.7)には、モーツァルトのようなメローさがあって、もはや古典派の時代の気分が表れている!もちろん、バロック的な、ヴィヴァルディで聴く、ヴェネツィア流のエモーショナルさも... そういう部分でも大いに魅了されるのだけれど、全体に、ロッティならではの独特のポップ感があって、これが興味深い。最後のクム・サンクト・スピリトゥ(track.13)などは、古風にして壮麗なフーガを歌い上げるのだけれど、やっぱりどこかでポップ。そうしたあたりが、やがてモーツァルトへとつながってゆくセンスを感じさせる。
さて、そんなロッティを聴いた後での、バッハのマニフィカト。この作曲家にしては、祝祭的で明るく、砕けた観すらあるわけだけれど、やっぱりバッハだ... 生来のキッチリした仕事ぶりに、硬さを感じ。いや、これこそ「バロック」のイメージなのだけれど... バッハは、ロッティのミサ・サピエンティアエの楽譜を持っていたらしい。音楽の中心が、ヴェネツィアからナポリへと移る頃とはいえ、ヴェネツィア楽派の巨匠、ロッティの影響力は、アルプスを越えて広がっていたわけだ。バッハに限らず、同時代の多くの作曲家たち、今となってはロッティよりも有名な作曲家たちが、ロッティをリスペクトしていたというから、何だか皮肉な話しでもあるのだが。今、改めて、ロッティとバッハを並べてみれば、多様なバロック期の音楽シーンが見えて来る。また、バッハの音楽の、モードに取り残されてしまったローカル性も浮かび上がって、興味深く感じる。だからといって、バッハがつまらないわけではない。そこには、ローカルならではの素朴な温かみがあって... あるいは、よりバロック色の強いサウンドが、力強さも生み出していて、魅力的。どちらがどうの、というのではない、同時代の2つの魅力を並べたからこそ楽しめるものが、それぞれにあり、そんな視点を見せてくれたヘンゲルブロックのセンスに感心させられる。
もちろん、ヘンゲルブロック+バルタザール・ノイマン・アンサンブル、そしてコーラスもすばらしい!透明感と、キビキビとした元気の良さ、そこに味わい深さが加わって... ロッティでも、バッハでも、それぞれに魅力的なパフォーマンスを繰り広げる。それから、ソプラノ・ソロの、ドロテー・ミールズ!得も言えぬ、チャーミングな声に、ノック・アウト... 様々な視点から魅力的な1枚!

LOTTI ・ MISSA SAPIENTIAE ・ BACH ・ MAGNIFICAT BWV 243a
THOMAS HENGELBROCK


ロッティ : ミサ・サピエンティアエ
ヨハン・セバスティアン・バッハ : マニフィカト BWV.243a 〔クリスマス版〕

トーマス・ヘンゲルブロック/バルタザール・ノイマン・アンサンブル、同合唱団

deutsche harmonia mundi/05472 77534 2


バッハは、特に言うまでもなく「偉大」なわけだけれど、ちょっと視点をずらしたならば... 例えば、アルプスの南側から見つめてみたならば、その「偉大」さも、またちょっと変わってくるような気がする。
かつて、ショスタコーヴィチが、西側に亡命しなかったことが、いろいろ言われた時期があったようだけれど、ショスタコーヴィチは、イデオロギーの壁を越えずにいたことで、社会主義リアリズムという息苦しい密室の中で、独特のミクロコスモスを創り上げることができた。そして、それが強烈な個性となり、今では、20世紀を代表する作曲家として、大きな存在感を示しているわけだ。そんなことを、ふと考えると、バッハの「偉大」さも、アルプスを越えなかったからこそ育まれた、独特のミクロコスモスなのかもしれない。




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