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もうひとりのメモリアルを、密やかに祝ってみる。 [2006]

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ヨーゼフ・マルティン・クラウス(1756-92)。
"スウェーデンのモーツァルト"とも呼ばれる、モーツァルトと同い年で、モーツァルトよりもひとつ長生きした作曲家。今年、2006年のもうひとりのメモリアル。もちろん、世界に愛されるモーツァルトと同じ、生誕250年。なのだが、あまりに大きな存在、モーツァルトに、すっぽりと隠れてしまう。そもそも、モーツァルトを暗殺したかも?くらいに、何やらスキャンダラスな逸話でもなければ、モーツァルトの同時代の作曲家たちは、存在すら知られない。実は、モーツァルトこそが他の作曲家たちを抹殺しているわけだ... そして、クラウスはまさにそうした存在。スポットが当たったとしても、"スウェーデンのモーツァルト"と、モーツァルトという名前が呪いのように憑いて回るから、踏んだり蹴ったりだ。しかし、生誕250年のメモリアル、モーツァルトの影に隠れながらも、気になる新録音がいくつかリリースされて... そんな1枚、古典派のスペシャリスト、ロナルド・ブラウティハムのフォルテ・ピアノによる、クラウスのピアノ作品全集(BIS/BIS-CD-1319)を聴く。で、もうひとりのメモリアルを、密やかに祝ってみる。
ところで、"スウェーデンのモーツァルト"は、スウェーデン人ではない...

ちょうど250年前の6月20日、ドイツ中部、ミルテンベルクに生まれたヨーゼフ・マルティン・クラウス。まもなくクラウス一家は、ミルテンベルクからブーヒェンに移る。ヨーゼフ・マルティンは、この街のカントールらから最初の音楽教育を受け、早くから音楽の才能を開花させたらしい。その後、マンハイムのキムナジウムへ... マンハイムといえば、もちろんマンハイム楽派である。ヨーゼフ・マルティンは、マンハイムの宮廷の少年合唱団に参加したり、音楽の講義を受けたり、音楽への関心を高め... が、両親は、息子に音楽よりも法学の道に進むことを望み、マインツ大学で法学を学ぶことに。とはいえ、音楽への夢は諦めきれず、エルフルト大学へ赴き、バッハの弟子、キッテルについて学んだりもしたのだが、結局、実家へ連れ戻され、改めてゲッティンゲン大学で法学を学ばされる。が、ゲッティンゲンでこそ、大いに芸術的刺激を受けることになる、ヨーゼフ・マルティン。ロマン主義の萌芽、シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)を牽引したゲッティンゲン大学の学生らによる文芸サークル"Göttinger Hainbund(ゲッティンゲンの森の結社)"の活動に、友人を通して触れ、オペラにおいてシュトゥルム・ウント・ドラングを体現していたグルックに心酔し、そうした感性を自身の音楽にも取り込み、意欲的に作曲に取り組み、充実した学生時代を送る。やがてスウェーデンからの留学生と知り合い、その誘いで北欧のパリと謳われたストックホルムへと渡る(1778)のだが... "スウェーデンのモーツァルト"への第1歩は、そこから始まった。
18世紀、啓蒙主義の時代を彩る、もうひとりの啓蒙君主、スウェーデン国王、グスタフ3世(在位 : 1771-92)。この王もまた、プロイセンのフリードリヒ大王(グスタフ3世の母は、大王の妹... )をはじめとする啓蒙君主たち同様に、芸術に入れ込んだひとり。そのストックホルムの宮廷には、ヨーロッパ中から芸術家が集められ、スウェーデンにおける文化、学術振興に多大な貢献を残した。という、ストックホルムでのポストを狙ったクラウスだったが、22歳の駆け出しの作曲家に、そうチャンスなどあり得なく、下積み生活を送ることに。が、やがて、自作のオペラの御前上演に漕ぎ着け... 王の草案による台本に作曲したオペラ『プロセルピン』(1781)が王の目に留まり、王立歌劇場の合唱指揮者と、王立音楽アカデミーの監督のポストが約束され、一躍、新進作曲家として、王の寵愛を受けることに。さらには、5年弱に渡るヨーロッパ視察旅行(1782-86)というボーナスまで!
クラウスは、ヨーロッパ各地で、当時の一流たちと交流。ウィーンでは、学生時代の憧れ、グルックに会い、また、オペラ『後宮からの誘拐』の成功(1782)で勢いづく、話題の作曲家、モーツァルトにも会ったらしい... さらに、ハイドンにも会うため、ハイドンが仕えていたエステルハーザへも足を伸ばす。そして、イタリアへ!ボローニャでは、18世紀における音楽の大家、マルティーニ神父に詣で、さらにナポリへ。その後で、18世紀の音楽の都、パリに向かい、ここでは2年も過ごし、コンセール・スピリチュエルでは、しっかり自作の交響曲も演奏してもらっている。また、ロンドンでヘンデルの生誕100年のメモリアル(1785)を盛大に祝うイヴェントが催されると聞けば、ロンドンへも足を伸ばし... フランス革命前夜の、多様で刺激に満ちた音楽シーンを味わい尽くしてストックホルムへと帰還。その翌年、1787年には、宮廷楽長に就任。持ち帰った大陸の最新モードで、スウェーデンの音楽シーンに新風を吹き込み、活躍。やがて"スウェーデンのモーツァルト"と呼ばれるようになるわけだ。
しかし、時代は、革命期へと雪崩れ込む。クラウスがストックホルムに戻り、しばらくすると、不穏な空気は海を越え、スカンジナビア半島にも忍び寄る。1792年、グスタフ3世は、劇場で王の専制に反対する保守系貴族により暗殺(ヴェルディのオペラ『仮面舞踏会』に描かれる... )されてしまう。クラウスは王を追悼するカンタータ、交響曲を作曲。王が将来を見込み、大抜擢したドイツ人の若き作曲家による音楽が、王の葬列を送った... クラウスにとっては、まだまだこれから、という時に、大きな存在を失うこととなったわけだが、クラウス自身もまた、病に倒れ、大きなチャンスを与えてくれた王を送った数ヵ月後、世を去る。そんな短い人生もまた、"スウェーデンのモーツァルト"と呼ばれる所以なのかもしれない。

さて、前置きが長くなってしまったが、クラウスのピアノ作品全集である。
1枚のディスクに、2つのソナタ、小品が5曲、で、ピアノ作品全集となってしまうクラウス。そんなクラウスの全集を見るにつけ、多作なのが一般的な18世紀にしては、ストイックな数... ピアノは、クラウスにとって、得意な楽器ではなかったのか?得意でなかったらしい... しかし、収められた作品は、どれも十二分に魅力的。2つのソナタなどは20分を越える、当時としては大作。そのサウンドも、モーツァルトやハイドンに比べると、ストイックで骨太にも感じられ、その先にあるベートーヴェンの感覚に近いのか... ところどころ見せる、力強く、堂々とした表情、あるいは、影を帯びたシリアスな表情は、18世紀の装飾的な華やかさとは違うテイストを響かせる。そのあたりが、"スウェーデンのモーツァルト"の、北欧的センス?大陸の同時代のテイストから、大きく飛躍するようなことはないのだけれど、当世風をわずかに抑えて、どこか雄大さを見せるクラウスの2つのソナタは、思い掛けなく魅力的だ。さらに、ロンド(track.7)や、スケルツォと変奏(track.8)のような小品も、そんなソナタを構成するひとつの楽章のように、充実した音楽を聴かせ。ピアノの名手、モーツァルトの即興的な身軽さ、巧みさとは違う、ピアノという楽器から距離を置いたところから生み出される手堅さが印象的。もちろん、それは堅苦しいということではない。スケルツォと変奏では、その終わりの方で、音を外して、おどけて見せる。また、軽やかなリズムが爆ぜ、時折、フォークロワなテイストがアクセントをつけるスウェーデン舞曲(track.9)なども、魅力的だ。
そんなクラウスの音楽を、活き活きと蘇らせるブラウティハム... それは、聴けば聴くほど味わい深く... 何となく、十把一絡に思われがちな古典派の作曲家たちだが、モーツァルトとも、ハイドンとも違う、クラウスの魅力を、丁寧に、そして堂々と、充実したサウンドで詳らかとしてゆく。やはり、古典派のスペシャリストの視線は鋭い。そして、その指から紡がれていくサウンドの、深く、豊かなこと!フォルテ・ピアノの、わずかにセピア色をした、少しくぐもったトーンを、最大限に活かし、クラウスという古典派のワン・シーンを、瑞々しく捉える。また、聴き知ったモーツァルトでも、ハイドンでもないからこそ、ブラウティハムの音楽性が改めて浮かび上がるようでもあり、クラウスばかりでなく、このピアニストの存在もきらめく1枚だ。

Joseph Martin Kraus ・ Complete Piano Music ・ Ronald Brautigam

クラウス : ソナタ ホ長調 (VB 196)
クラウス : ソナタ 変ホ長調 (VB 195)
クラウス : ロンド ヘ長調 (VB 191)
クラウス : スケルツォと変奏 (VB 193)
クラウス : スウェーデン舞曲 (VB 192)
クラウス : 2つの興味深いメヌエット (VB 190)
クラウス : ラルゲット (VB 194)

ロナルド・ブラウティハム(フォルテ・ピアノ)

BIS/BIS-CD-1319




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