SSブログ

2006年のメモリアル、クラシックの「冬」が生む、見たことのない結晶の数々... [2006]

2006年と言えば、とにもかくにも、モーツァルトである。が、ショスタコーヴィチも、忘れるわけにはいかない。ドミートリ・ショスタコーヴィチ(1906-75)、生誕100年!で、モーツァルトに隠れてしまうのかな?と思いきや、思いの外、「ショスタコーヴィチ・イヤー」という文字を見かけるようであり。少し、嬉しくなってしまう。もちろん、「モーツァルト・イヤー」に比べたら、小さなものだけれど...
ということで、2006年もそろそろ折り返し地点、"メモリアル"もいい加減、辟易... となるかと思いきや、メモリアルは楽しい!とにかく、リリースされるアルバムの多さときたら、凄いものがある。また、それらが、どれも同じようなものにならない、レコード会社の並々ならぬ努力が見受けられ、モーツァルトにしろ、ショスタコーヴィチにしろ、聴く側としては飽きることなく、すっかり楽しませてもらっている。しかし、これが、まだクラシックに勢いがあった頃(カラヤン?バーンスタイン?20世紀の伝説が生きていた頃)ならば、どうだったろう?クラシックが音楽ヒエラルキーの頂点にどっしりと胡坐を掻いていた頃ならば、おそらくスターたちが、その作曲家の代表作で勝負をかけ、結局のところ、同じようなアルバムが並んでいたのではないか?と、ふと思う。そして、それらが、また、よく売れていたであろう。しかし、今や、クラシックのCDなんて売れやしない。そして、CDが売れなくなってからの"メモリアル"は、手を変え品を変え、創意工夫で乗り切らねば... これまで省みられなかった作品、つまり、これまであまり売ってこなかった作品に、今、まさにスポットが当たり始め... そんな、クラシックの「冬」が生む、見たことのない結晶の数々... とでも言おうか、2006年のメモリアルは、驚きと、発見の喜びに満ちているように思う。
ということで、まずはモーツァルト... ルネ・ヤーコプスによるモーツァルトのオペラの全曲盤のシリーズ、メモリアルにリリースされるのは、フライブルク・バロック管弦楽団と、ピリオド系のスターたちを結集しての、オペラ『ティートの慈悲』(harmonia mundi FRANCE/HMC 901923)。それから、ショスタコーヴィチ... ジェラード・シュウォーツ率いるシアトル交響楽団による、メモリアルなればこその珍しさ、バラード『ステパン・ラージンの処刑』(NAXOS/8.557812)。この2タイトルを聴く。


ヤーコプスが息衝かせる、古代ローマの愛憎劇、『ティートの慈悲』。

HMC901923.jpg
モーツァルト・イヤーということで、次から次へと興味深いものがリリースされ、目が回りそうなのだが。そうした中で、モーツァルトのオペラはどうなのか?というと、にわかに『ティートの慈悲』がリリース・ラッシュ!まず、コジェナーがセストを歌うマッケラス盤(Deutsche Grammophon/477 579-2)がリリース、まもなく、カサロヴァがセストを歌うスタインバーグ盤(RCA/82876.83990.2)もリリースされる予定。そして、今、最もモーツァルト・オペラで期待したいマエストロ、ヤーコプスが、『コジ... 』、『フィガロ... 』に続いて、2006年のメモリアルに、『ティート... 』をリリース。ティート!ティート!ティート!これまで、あまり省みられなかったオペラが、突如、3タイトルも登場。いくらメモリアルとはいえ、驚くばかり。で、なぜにティート?定番はすでに録音され尽くされてしまったということか?などと、いろいろ考えてしまうのだが... 最も期待せずにはいられないヤーコプス盤である。そして、期待を裏切らない... 序曲から、独特の雰囲気に充ちている!なんと言うか、臨場感が違う。
ヤーコプスの指揮により、フライブルク・バロック管の演奏が冴る!ピリオドならではの瞬発力、キレ、表現の振幅... モダンによる、「洗練」という名目で研磨されてしまった響きでは拾いきれない、18世紀の劇場にあっただろう息遣いが、スピーカーから溢れ出るよう。そんなサウンドに触れていると、暗くなった劇場、ぼんやりと明るいオーケストラ・ピット、揺らめく指揮者の影が目の前に浮かぶよう。そして、幕が上がれば、古代ローマの宮廷を舞台とした愛憎劇の生々しさが呼吸を始める。そこには、粒揃いの歌手たちの確かな歌声があって...
皇帝、ティートを歌うパドモア(テノール)の、クリアな美声にはやられてしまう。18世紀のオペラ・アリアを、これほど耀かせてくれるテノールが、他にいるだろうか?何より、この美声ならば、恋するあまり暗殺未遂に走る女(昼メロな世界... オペラ・セリアって、意外にそういうノリのものが多いよなぁ... )も登場するわけか... と、変に納得。その女、ヴィッテーリアを歌うペンダチャンスカ(ソプラノ)もいい味出している!こういう悪女キャラは、アルミード(グルックなどの... )しかり、エレットラ(『イドメネオ』の... )しかり、オペラ・セリアの聴かせ所。艶やかで、ヘヴィーで、マッドな皇女さまを、迫力を以って聴かせてくれる。そして、ゴジェナー、カサロヴァと、旬なメッゾたちが歌っているセストには、ベテラン、フィンク(メッゾ・ソプラノ)。実は、今じゃ、ピリオド界の大御所の一角?そんなキャリアから演じられる、迷い多き青年は、熟成された迫真を見せ、ドラマに求心力をもたらす。
昔々を生きた大理石の彫像たちではなく、我々と同じ人間によるドラマを見せられ。オペラ・セリアならではのフォーマルな気分(これが、オペラ・セリアをつまらないものとしてレッテルを貼られてしまった要因?)も十分にあるが、それだけに留まらない、しっかりとしたドラマ性... それもただの激情型ではない、ナチュラルな呼吸を感じさせるドラマ性を引き出せているあたりが、ヤーコプスならでは!
一方で、レチタティーヴォが冗長に感じるところも。1791年、 『魔笛』とレクィエムという、名作の作曲をこなさなければならなかったハード・スケジュール... モーツァルト、最期の年に書かれた『ティート... 』のレチタティーヴォは、アシスタント、ジュスマイヤーまかせ。というイメージからくる先入観か?もちろんモーツァルトによる音楽そのものは、すばらしく、改めて聴けば発見も多い。最終幕のフィナーレなど、ベートーヴェンの『フィデリオ(レオノーレ)』(1805)は、かなり近いところにあるのかも。もし、モーツァルトがあと10年、生きていたなら、どんなオペラを書いただろうか?興味深く感じる。

W. A. MOZART LA CLEMENZA Di TITO René Jacobs

モーツァルト : オペラ 『ティートの慈悲』 K.621

ティート : マーク・パドモア(テノール)
ヴィッテーリア : アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカ(ソプラノ)
セスト : ベルナルダ・フィンク(メッゾ・ソプラノ)
アンニオ : マリ・クロード・シャピュイ(メッゾ・ソプラノ)
セルヴィーリア : スンヘ・イム(ソプラノ)
プブリオ : セルジオ・フォレスティ(バス)

RIAS室内合唱団
ルネ・ヤーコプス/フライブルク・バロック管弦楽団

harmonia mundi FRANCE/HMC 901923




ショスタコーヴィチはカッコいい!『ステパン・ラージンの処刑』と「十月革命」。

8557812.jpg
ショスタコーヴィチ・イヤーも、なかなか盛り上がっている。普段では、ほとんど聴くことのない作品も、メモリアルのおかげで、ディスクになって登場... 幻となったアニメーション映画のために作曲された音楽を復元して... という『司祭とその下男バルダの物語』(Deutsche Grammophon/477 6112)に、晩年の歌曲集をオーケストレーションしたアルバム(Deutsche Grammophon/477 6111)をリリースし、"ショスタコーヴィチ生誕100年記念"を祝うDG。5番の交響曲ではなくて、こういうラインナップでのメモリアルとは、名門レーベルも気を吐いている。また、ラトル率いるベルリン・フィルの最新盤といえば、当然、5番ではなくて、1番と14番の交響曲というカップリング(EMI/3 58077 2)。まさに、2006年のメモリアル、だ。そこにきて、NAXOSはというと... バラード『ステパン・ラージンの処刑』。さすが!のチョイス。メジャー・レーベルの猛追も、軽やかにかわす。
ということで、バラード『ステパン・ラージンの処刑』。バリトン独唱、混声合唱と管弦楽のための交響詩、ということだが、感触はオラトリオ。プロコフィエフの『アレクサンドル・ネフスキー』や『イワン雷帝』の系譜といったところか... 題材も、やはりロシア史における重大事件、ステパン・ラージンの乱(1670-71)を、タイトル通り扱っている。で、プロコフィエフに負けじと、派手に歴史スペクタクルを繰り広げてくれるわけだ。
戦争映画でも始まったか... という、重々しく、いかにもな出だし。そこへ、バス・バリトンと男声コーラスの力強い歌が入れば、『バビ・ヤール』のイメージ。よく引き合いに出される... という話しも、納得だが、『バビ・ヤール』に比べると、もっとキャッチー。『バビ・ヤール』は、体制に対して、あまりに挑戦的で、そんな危なっかしさが、独特の薄気味悪さを醸すが、『ラージン... 』は、もっとダイレクトにスペクタクル。そんな冒頭、しばらくすると、女声コーラスによる雄叫びのような「ヨォーウェッ!(って言っているのか、何なのか、よくわからん... )」。なんだ、こりゃ?!なんて思いつつも、ただならぬ雰囲気で、迫力満点。悪夢にうなされながら悦に入る?異様にエキゾティックで、異様にパワフルで、異様な緊迫感。こういう場面に出くわすと、聴く側としては、降参です(だから、ショスタコーヴィチは好き... )。そんな熱狂が引いていくと、薄ら寒い静けさが訪れ、やはりショスタコーヴィチ・ワールド、全開。最後は、冒頭のテーマが悲壮感を引きずって戻ってきて、明るさなど微塵もないまま(処刑されるわけだから、そんなとこか... )、ヘヴィーにフィナーレ。で、これがまた、カッコよく...
そのテーマが耳に残りながら聴く、2曲目、交響詩「十月革命」(track.2)。この冒頭が『ラージン... 』のそのテーマに似ており、何だか悪夢をエンドレスで見るような感覚に... で、この2つの交響詩のつながりが興味深い。一方で、「十月革命」は、まさにプロパガンダ。独特のキャッチーさで、輝かしいフィナーレへ向けての疾走感は、何と言うのだろう。ソヴィエトが消滅した今、その毒気が抜けたキャッチーさは、ポップ?いや、これもまたカッコいい... そんな音楽を、さらりと仕立てるシュウォーツ+シアトル響。『ラージン... 』もすばらしい演奏だが、「十月革命」では、そのすっきりとした演奏が、後半の疾走感をより際立たせ、スタイリッシュ!このあたりが、当事者としてのロシアのオーケストラによる演奏と違うところか?ソヴィエトの顛末を知り、そのライバルの側から客観視できるアメリカのオーケストラによる演奏は、ある意味、ショスタコーヴィチの音楽に真摯でいられるのかもしれない。ソヴィエトの灰汁やら、えぐみやらが取れて、ショスタコーヴィチをカッコよく響かせる... で、こんなにも良い曲だったっけ?と、少し驚かされて。まったく、おもしろい。

SHOSTAKOVICH: The Execution of Stepan Razin

ショスタコーヴィチ : バラード 『ステパン・ラージンの処刑』 Op.119 **
ショスタコーヴィチ : 交響詩 「十月革命」 Op.131
ショスタコーヴィチ : 5つの断章 Op.42

チャールズ・ロバート・オースティン(バス・バリトン) *
シアトル交響合唱団 *
ジェラード・シュウォーツ/シアトル交響楽団

NAXOS/8.557812




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。